松尾豊『人工知能は人間を超えるか』

 (KADOKAWA、2015.3)

 近年、人工知能の研究がすすんだことで、人間の職がなくなるのでは?(働かずに暮らせたらそれでいいじゃん)とか、人間よりずっと賢い(とは?)人工知能ができてしまうのでは?(もしできたとしてなにか問題があるの??)といった話がいわれるようになってきた。この本は、そのような話に対して、人工知能の研究者である著者が、いままでの研究の成果や現状について書いている。出版が2015年だから、残念ながらAlphaGoとかの話はでてこない。

 題名とか表紙のテンションから、この本を信頼してだいじょうぶかしら、と思ったり*1もしたけれど、入門的なことをわかりやすく説明してくれていてありがたかった。技術の進歩とか、もののしくみの話とか、どきどきするよね。以下本に書いてあったことより。

 

  

人工知能とは?


 まず、人工知能とは何か、ということも専門家の中でいろいろある。人間の知的な活動の一面をまねしているものも、世の中で人工知能とよばれたりするからややこしい。専門家の見解の中で紹介されているものからいくつか取ってくると、次のようなものがある。
「人工的につくられた、知能を持つ実体。あるいはそれをつくろうとすることによって知能自体を研究する分野」(中島秀之)
「「知能を持つメカ」ないしは「心を持つメカ」」(西田豊明)
「人間の頭脳活動を極限までシュミレートするシステムである」(長尾真)
「知能の定義が明確でないので、人工知能を明確に定義できない」(浅田稔)
松尾の定義は、「人工的に作られた人間のような知能、ないしはそれをつくる技術」である。浅田によって触れられているように、知能とは?とか心とは?とか言い出すと、もうそれだけで一つの研究なので、人間のような、と設定するのはまあまあ現実的だろう*2同じく知能を扱おうとしている脳科学との対比がわかりやすい。人工知能研究者は、知能を構成論的に(実際に作ってみることによって)理解しようとしているのに対し、脳科学者は知能を分析的に理解しようとしているわけだ。

 
 ここにあるのは、「人間の知能は、原理的にはすべてコンピュータで実現できるはずだ」という前提である。

人間の脳の中には多数の神経細胞があって、そこを電気信号が行き来している。脳の神経細胞の中にシナプスという部分があって、電圧が一定以上になれば、神経伝達物質が放出され、それが次の神経細胞に伝わると電気信号が伝わる。つまり、脳はどう見ても電気回路なのである。脳は電気回路を電気が行き交うことによって働く。そして学習をすると、この電気回路が少し変化する。
電気回路というのは、コンピュータに内蔵されているCPU(中央演算処理装置)に代表されるように、通常は何らかの計算を行うものである。(パソコンのソフトも、ウェブサイトも、スマートフォンのアプリも、すべてプログラムでできていて、CPUを使って実行され、最終的に電気信号を流れる信号によって計算される。)

 脳でやってることが計算なのであれば、それはコンピュータで実現できると考えられ、人工知能研究はこれを実現しようとしている。この目的からすると、現在の研究レベルはゴールにはほど遠い。人工知能はまだできていないのだ。

 
 また、上に紹介した研究者たちの「人工知能」の定義は、どちらかといえば達成目標のような趣があるが、すでに「人工知能」と呼ばれているものは存在している。
レベル1として、「単純な制御プログラムを「人工知能と称している」もの。ただのマーケティングだ。
 レベル2は、「古典的な人工知能」。古典的、というのは、人工知能の研究史において、ということだろう。例えば将棋のプログラムや質問応答などである。「入力と出力を関係づける方法が洗練されており、入力と出力の組み合わせの数が極端に多いものである」。
 レベル3は、「機械学習を取り入れた人工知能」である。レベル2では、人間が入力と出力を対応させる複雑なルールを頑張って考えて、それに従って機械が処理をしていた。機械学習では、この入力と出力を関係づける方法を、データを与えることで機械が学習してくれる。

 さらにその上でのレベル4は、「ディープラーニングを取り入れた人工知能」であるという。「ディープラーニング*3というのは機械学習のやり方のひとつの、最近発展してる分野で、コンピューターが与えられたデータにおけるどの変数を重視するか、というところまで学習してくれるものである。この本の中で「ディープラーニング」は、「特徴表現学習」とも呼ばれている。ディープラーニング(特徴表現学習)はとても大きなインパクトをもたらしたので、この本の中で機械学習と並べて述べるときもあるが、ディープラーニング特徴表現学習)は、機械学習の研究の一部であると筆者も強調している。

 この本の中では、「人工的に作られた人間のような知能、ないしはそれをつくる技術」という松尾自身による「人工知能の定義の中にレベル2~4ぐらいまでは含まれている様子で言葉が使われている。研究の達成という意味では「人工知能はまだできてない」けれど、すでに開発されたものを「人工知能」と呼ぶこともあるみたいでちょっとややこしい。

 

三度のAIブーム

 人工知能研究とはどういうものかが少し整理され、第二章以降ではこれまでの研究の流れの紹介がされていく。

人工知能研究は、これまで「ブーム」と「冬の時代」を繰り返してきた。
(中略)
ざっくり言うと、第1次AIブームは推論・探索の時代、第2次AIブームは知識の時代、第3次AIブームは機械学習と特徴表現学習の時代である

  第1次AIブームは、50年代後半から60年代。「人工知能Artficial Intelligence)」という言葉は、1956年のワークショップで初めて登場した。ここでデモンストレーションされた「ロジック・セオリスト」というプログラムは、自動的に定理を証明するもので、初の人工知能プログラムといわれている。

 第1次のブームで中心的な役割を果たした「推論」や「探索」という処理は、探索木(たんさくぎ)を用いた場合分けによってなされる。場合分けのやりかたーーどの順番で探索木を広げるかーーにも効率のよい悪いがある。メモリの制約と、解へたどり着く手数とのバランス、膨大な組み合わせの枝同士の評価方法などが研究された。当時探索の研究で行われたのは、迷路やパズルを解くことや、オセロや将棋等のゲームへの挑戦などである。これらの課題はみな、選択肢が限定された条件下での場合分けに還元することができるものだ。

1960年代に花開いた第1次AIブームでは、一見すると知的に見えるさまざまな課題をコンピュータが次々に解いていった。さぞかしコンピュータは賢いのだろうと思われたが、冷静になってかんがえてみると、この時代の人工知能は、非常に限定された状況でしか問題が解けなかった。(中略)現実の問題はもっとずっと複雑だった。

 いわゆるトイ・プロブレム(おもちゃの問題)しか解けないことが明らかになるにつれ、人工知能への失望が広がり、1970年代に冬の時代を迎えてしまう。

 

第2次AIブーム : 知識


 1980年代に再び勢いを取り戻した人工知能ブームを支えたのは「知識」である。

たとえば、お医者さんの代わりをしようと思えば、「病気に関するたくさんの知識」をコンピュータに入れておけばよい。弁護士の代わりをしようと思えば、「法律に関するたくさんの知識」をいれておけばよい。そうすると、迷路を解くというおもちゃの問題ではなく、病気の診断をしたり、判例に従った法律の解釈をしたりという現実の問題を解くことができる。これは確実に賢くなりそうに思えるし、また実用的にも使えそうだ!

 このような、「ある専門分野の知識を取り込み、推論を行う」人工知能は「エキスパートシステム」と呼ばれた。「ある専門分野の知識を取り込み、推論を行う」と擬人的な言い方をしているが、もしAならばB、AでなければCといった推論(場合分け)の前件や後件をコンピュータに与えるということだ。先ほど登場したレベル2の人工知能である。仕組みとしてはけっこう想像しやすい。

 しかし、これを実行するのは大変なことだった。ある専門分野の知識を取り出して形式的に記述すること、そうして得られた条件文(ルール)が矛盾なく一貫するように維持管理することが必要になってくる。高度で限定的な専門分野においてならまだいい。問題系がより広汎になってくると、人間なら誰でも持っているような常識的なーー人間には手と足が二本ずつある、だとか、人間は哺乳類である、等々ーーの知識も、あらかじめコンピュータが知って(つまりはルールの形で登録されている)いなければならない*4私たちが当たり前だと思っている知識の量も、それを形式的に記述することも、膨大な道のりなのだ。だんだん形式意味論みたいな沼にはまってきた。
*5


 第2次AIブームでは、知識を入力することで、コンピュータが産業的にも大いに利用できることが分かったものの、その知識記述の困難さ、またフレーム問題やシンボルグラウンティング問題などから、人工知能の実現には大きく疑問符がついてしまった。


 人工知能のフレーム問題、シンボルグラウンディング問題は、どちらも人工知能における難問として知られている。ある状況・目的において、人工知能はいかにして「関係ある知識だけを取り出して」使い、関係のないものを無視すればよいのか、というのがフレーム問題である。この問題が乗り越えられない限り、コンピュータが十分に知識をもっていたとしても、持っていたなら余計に、あるタスクを実行する際に適切な知識・動作を選び取ることが困難になるだろう。
 記号体系と現実の、あるいは概念との対応ーー「記号をその意味するものと結びつけることができない」というのがシンボルグラウンディング問題である。近年では、ワソトンという質問応答を行う人工知能がクイズ大会で優勝したり、グーグルによる機械翻訳の技術が発展したりしているが、もちろんこれらのシステムは、質問の"意味"が分かって解答を選んでいるわけでも、文章の"意味"が分かって翻訳文を生み出しているわけでもない。事前のデータや計算の結果によって得られた一番確率の高いものを出力しているだけである。シンボルグラウンディング問題は身体性ーー「外界と相互作用できる身体がないと概念はとらえきれない」という観点とともに研究されている。


 90年代*6からは再び冬の時代となり、人工知能への風当たりはきわめて強かったという。しかしその頃、90年には初めてウェブ上にページができ、93年には初期のウェブブラウザ「モザイク」が、98年にはグーグルの検索エンジンが登場するなど、ウェブページの世界は大きく発展していた。このようなウェブによるデータの増加、またパターン認識の分野で蓄積されてきた技術が、「機械学習(Machine Learning)」の研究の土台となり、2010年代の第3次AIブームへとつながっていく。

 

第3次AIブーム : 機械学習

 

機械学習とは、人工知能のプログラム自身が学習する仕組みである。
(中略)
人間にとっての「認識」や「判断」は、基本的に「イエスノー問題」としてとらえることができる。この「イエスノー問題」の精度、正解率を挙げることが、学習することである。・・・
機械学習は、コンピュータが大量のデータを処理しながらこの「分け方」を自動的に習得する。
(中略)
機械学習は、大きく「教師あり学習」と「教師なし学習」に分けられる。
「教師あり学習」は、「入力」と「正しい出力(分け方)」がセットになった訓練データをあらかじめ用意して、ある入力が与えられたときに、正しい出力(分け方)ができるようにコンピュータに学習させる。(中略)一方、「教師なし学習」は、入力用のデータのみを与え、データに内在する構造をつかむために用いられる。データの中にある一定のパターンやルールを抽出することが目的である。

 コンピュータによってある一群の対象を「分ける」というのは、対象を座標空間の上の点として配置して(つまり、対象をいくつかの観点に基づくデータの結合としてモデル化する)これら空間上の点の一群を切り分けるときにどんな線や面を使ったらいいか・・・といった作業になる。学習の仕方にも、教師あり/なしという違いがあるが、空間上の点としてモデル化した入力群をどのように分けるか、という方法にもいろいろなものがある(もちろんモデル化の仕方にもいろいろある)。

 機械学習の中で有望な分野とされているニューラルネットワークNeural network)は、人間の脳神経回路のモデル化が研究の源流である。ニューラルネットワークは、この機械学習の方法のうちのひとつであるが、第四章以後ではほとんど機械学習といえばニューラルネットワークが用いられているものとして話が進められている。

人間の脳はニューロン神経細胞のネットワークで構成されていて、あるニューロンはほかのニューロンとつながったシナプスから電気刺激を受け取り、その電気が一定以上たまると発火して、次のニューロンに電気刺激を伝える。これを数学的に表現すると、あるニューロンがほかのニューロンから0か1の値を受け取り、その値に何らかの重みをかけて足し合わせる。それがある一定の閾値(しきいち)を超えると1になり、超えなければ0になる。それがまた次のニューロンに受け渡されるという具合である。
(中略)
一連の流れの中で肝となるのは重みづけで、人間のニューロンが学習によってシナプスの結合強度を変化させるように、学習する過程で重みづけを変化させ、最適な値を出力するように調整することで、精度を高めていく。

 

 データからニューラルネットワークを作る「学習フェーズ」では、ニューラルネットワークの出力と、教師データの正解とをくらべて、出力が正解に近づくようにノード間の重みづけを調整する、という作業をひたすら繰り返す。この作業には数秒から、長いときには数日間かかることもあるという。できあがったニューラルネットワークを使って正解を出す(「予測フェーズ」)のは一瞬だ。先に述べたエキスパートシステムとは異なり、機械学習では、入力データ、入力データと正しい出力データの用意によっていくらでも新しい仕事ができる。
 しかし、この入力のデータとして何を用いるのかは人間が選ばなくてはならなかった。「特徴量(引用者注:「機械学習の入力に使う変数のこと」)をどうつくるかが機械学習における本質的な問題」であったのだ。すると最終的には、機械学習の、特徴量の設計は長年の知識と経験に基づいた職人技になってしまう。最後はコンマ何%程度の性能の違いを競うようなものになってしまい、「研究としてはあまり面白くないところだ」。

 

ディープラーニング


 ところが2012年、世界的な画像認識のコンペティションで、「ディープラーニング(深層学習)」という新たな機械学習の方法によるカナダのトロント大学が、他の人工知能を10ポイント以上引き離して圧勝したのだ。それまでの画像認識の職人技ではない、まったく新しいところからの参入であっただけに、トロント大学の圧勝は大きな衝撃となった。ディープラーニングというのは、層が深いニューラルネットワークである。*7松尾はこれを、「人工知能研究における50年来のブレークスルー」だという。
 では、ディープラーニングになったら何がそんなにすごいのか。ディープラーニング以前の機械学習では、特徴量をどういう風に選ぶのか、ということ(特徴量設計)は人間が考えることで、「機械学習の本質的な問題」であったことは前にも述べた。例えばネコの画像を認識する人工知能を作るためには、ネコ画像のネコ性をよくあらわす(もちろん数値的に)特徴の取り出し方を考えなくてはならなかった。しかしディープラーニングでは、画像そのものから、それらの画像を扱うための特徴を抽出することができる。*8ディープラーニングでは、画像のピクセルなどの、たくさんの変数の相関関係を分析し、少数個の変数に縮約する、ということが行われている。

相関のあるものをひとまとまりにすることで特徴量を取り出し、さらにそれを用いて高次の特徴量を取り出す。そうした高次の特徴量を使って表される概念を取り出す。
・・・
ディープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データをもとに何を特徴表現すべきか」をコンピュータが自動的に獲得することができるという可能性を示している。簡単な特徴量をコンピュータが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。その特徴量を使って表される概念を獲得し、その概念を使って知識を記述するという、人工知能の最大の難関に、ひとつの道が示されたのだ。

*9

 

   *


 人工知能研究のちょうどいま来ているあたりまでを説明したところで松尾のボルテージも高まっている。そもそも人間が概念を獲得しているとはどういう状態なのか、という哲学的議論もあるけれど、一般的な類に妥当するものとしないものを弁別できるような抽象的特徴量を獲得している人工知能は概念を獲得している!と言いたくなる感じは分かる。


 第六章からは、将来人工知能がどうなるだろうか、という話がされている。この本自体は第六章と終章とがあってもう少しつづくけれど、わたしが筆者のテンションに乗れなくなってきたこと・人工知能研究の現時点までのことを知りたいという目標とはあまり関係ない箇所であったことなどから、まとめるほどのやる気は生まれなかった。

 松尾による今後の展望があって、なるほどな~と思ったので下にそれだけ引用しておわり。

1画像からの特徴表現と概念の獲得
2マルチモーダルな(引用者注:画像ーー視覚以外の、聴覚や触覚、また時間など、複数の感覚のデータを組み合わせて扱う)特徴表現と概念の獲得
3「行動と結果」の特徴表現と概念の獲得
4一連の行動を通じた現実世界からの特徴量の取り出し
5言語と概念のグラウンディング
6言語を通じての知識獲得(人間を超える?)

 

(2017.10.30)

*1:人間らしい(問題解決能力や創造性、知能や心を持つとか?)ことが何かしら神聖であると思ってるのが一般の認識だよね、という感じで書いてあるので時々ふうん??と思ってしまう。機械学習を専門にしている知人に勧めてもらわなければ、手にとっても戻したと思う。

*2:松尾は、「人間のように知的であるとは「気づくことのできる」コンピュータ、つまりデータの中から特徴量を生成し現象をモデル化することのできるコンピュータ」と定義している。それは知能の一部の説明になっているだろうが、全部ではないようにも思われるが

*3:日本経済新聞のめちゃくちゃ煽りに見える広告を思い出してしまってよくない。この辺の、普通に学問の用語だったはずの言葉たちは、いろんなところに引っ張り出されて語感だけのチープなものにされてしまってすごいかわいそうだ

*4:1984年、人間の持つすべての一般常識をコンピュータに入力しようというCycプロジェクトと呼ばれるプロジェクトがはじまった。このプロジェクトは三十年以上経ったいまでも続いている。

*5:ここから知識を記述するということそれ自体を研究するオントロジー(ontrogy)研究へつながっていく。オントロジーとは、哲学では存在論のことをいうが、人工知能の用語としては「概念化の明示的な仕様」と定義されるということだ。

オントロジー研究によって、知識を適切に記述することがいかに難しいかが明らかになり、大きく分けて2つの流派ができた。
私の解釈でざっくり言うと、「人間がきちんと考えて知識を記述していくためにどうしたらよいか」を考えるのが「ヘビーウェイト(重い)・オントロジー派と呼ばれる立場であり、「コンピュータにデータを読み込ませて自動で概念間の関係性を見つけよう」というのが「ライトウェイト(軽い)・オントロジー派である。

  後者はインターネットやビックデータと相性がよく、セマンティックウェブ、あるいはLinked Open Dataの研究へ展開されている。このようなライトウェイト・オントロジーの流れから、2011年にはIBMによって「ワソトン」という人工知能が開発されている。従来あった質問応答の手法と、ウィキペディアの記述をもとにしたオントロジーが組み合わせられている。ワソトンはアメリカのクイズ番組で優勝し、脚光を浴びた。(当然ながら、ワソトンは質問を理解して答えているのではなく、質問に関連してもっとも確からしいキーワードを引き出しているだけである。)

*6:海外では87年頃から、日本では95年頃からだという

*7:ニューラルネットワークが研究されはじめた時点でディープラーニングも作られてよかったように思える。しかし、実際やってみると、学習がうまくいかなかったり、逆に教師データを学習しすぎて未知のデータをうまく分類することができなかったりした。ネットワーク構造や学習のさせ方を改良することによって、多層のニューラルネットワークを学習させることが可能になってき

*8:これはディープラーニングの仕組みによってそうなっているのだけれど、私の現時点の言語能力と理解度の問題でそれを説明することから撤退しました、あしからず。

*9:

ところが、その実、ディープラーニングでやっていることは、主成分分析を非線形にし、多段にしただけである。
 つまり、データの中から特徴量や概念を見つけ、そのかたまりを使って、もっと大きなかたまりを見つけるだけである。何てことはない、とても単純で素朴なアイデアだ。


主成分分析は、多くの変数を合成することで少ない変数でデータを表す手法で、アンケートの分析やマーケティングなどで、一般的に用いられている手法だ。ディープラーニングの実現前から、「どう考えてもこのやり方しかない」という試行錯誤が行われながら、どうしてもうまくいかなかった、と書かれている。いろんな人が悔しかったのだろうな。

山口謠司『日本語を作った男:上田万年とその時代』

 今の私たちが使っている日本語の書き言葉は、明治時代後半の言文一致運動にその一つの源流がある。これは、「自然に変化してこうなったものではなく、「作られた」日本語である」。タイトルにある上田万年(1867(慶応3年)ー1937(昭和12年))は、その時代に東大の博語学(いまでいう言語学)の教授として、言文一致をしようとした人だ。結局これは挫折して、「現代かなづかい」の告示は戦後まで待たなくていけないのだが。この本は、上田万年の時代の歴史的・文化的なことについてや、同時代の人物たちの活動を群像的に書いていっている。
 知らなかったことがいっぱいあって、しかもそれが大きな全体像を構成していて、とてもおもしろかった。全体像の話をするのはむずかしいだろうけど、面白かった話をいくつか紹介してみたい。

 

 

 上田万年は慶応3(1867)年に生まれる。大政奉還が行われて明治新政府が成立した年だ。ちなみにこの年には、夏目漱石正岡子規幸田露伴南方熊楠なども生まれている。
 明治政府は、欧州列強に追いつこうと、中央集権的な近代国家を確立させようとしていたし、江戸以前の文化をなかったものとしたかった。大学に入るためには英語を習得していなければならず、帝国大学での授業はすべて英語だったという。当時博士になるにはどの専門分野でも留学が必須で、留学によって外国の知識を国に持ち帰るという流れだった。帝国大学の学生というのは、日本の中でもほんの一握りのエリートだったのだ。また、新島襄(1843ー1890)や内村鑑三(1861ー1930)は、「日本語を話すことはできても、ほとんど日本語で書かれたものを読解することができず、英訳本か、本を読んでもらうことでようやく耳から理解していた」と触れられていて驚く。このような時代のなかで、例えば森有礼は英語を日本の公用語にすることを主張するし、そこまで急進的でなくても、日本語をローマ字で書こうという論(西周)や、漢字を廃止しよう(前島密)などの議論が明治6年(1873年)頃から主張されてくる。

 日本語をどのように文章にするのか、という問題には、様々な論点がある。漢字や仮名、そしてローマ字という表記の問題。そもそも、発音されている音のすべてをかなで表すことができるのか、という表音の問題*1も含まれるだろう。そして、文語文と口語文という表現の問題だ。文語文というのは、例えば漢文や漢文訓読体、もっと私的なものでは候文などである。それぞれ例として引用されているものがあるので見てみよう。

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

 第二次世界大戦終結までは、公式文書はすべて漢文または漢文訓読体であったという。玉音放送は最もよく知られているところであろう。原文は、漢学者・川田瑞穂によって書かれ、陽明学者・安岡正篤によって添削されたということだ。誰でも使いこなせる文体ではなかった。

今朝は風はげしう候て北に向きたるは窓さえ明けがたきように御座候(ござそうろう)都のうちさえ此(この)ようのさむさなるをまして山おろしいかばかりか父母ともどもお案じ申上御様子(ごようす)承(うけたまわる)るべしと語りあい居(をり)候に

 これは樋口一葉が博文館から依頼されて執筆した『通俗書簡文』(1986)の抜粋ということだ。題名に「通俗」とあるけれど、みんなこういう文体で私信をやりとりしていたということなのだろうか。

 

 このような中で、明治初期には、まず日本語をひらがなだけで、あるいはローマ字だけで書いていこうという、表記における運動が活発になる。物集高見という人物の、『かなのしをり』(1884(M4))という本の文章が引用されているので見てみよう*2

よろづ の くに おほかた この くに の ことば この くに の もじ を もて よろづ の もの を よび ちぢ の こと を しるせり、かの 二十六 の こゑ 二十六 の もじ を もて よろづ の もの を しるせる くに も 五十 の こゑ 五十 の もじ を もて ちぢ の こと を しるせる くに も とも に ひと の くに も もじ を かる こと なし、わが みくに も また 五十 の こゑ 五十 の もじ ありて よろづ の もの を よび ちぢ の こと を しるさば ひと の くに も もじ は かる べく も あらぬ を

漢字かな混じり文が当たり前だと思ってる身からはだいぶ目が泳いでしんどい。
ひらがな分かちや、ローマ字表記という文体からなんとなく土岐哀果(善麿)(1885ー1979)の『NAKIWARAI』(1910)や會津八一(1881-1956)の歌が思い出される。小高賢『近代短歌の鑑賞77』を参照すると、哀果のほうは時代的な動きに応じたものだったようだ*3が、八一のほうはそれとは違うところの理由からくる文体選択だった様子*4だ。

 本書の話に戻って、明治前半までは、覚えるのに時間のかかる漢字を廃し、日本語のひらがな表記や、ローマ字表記へと教育を変えようという議論が主に行われていたとまとめられるだろう。


 いま漢字仮名混じり文を当たり前にしていると、こういった主張に対してそんなむちゃくちゃな、という気持ちにならなくもないけれど、世界でも文字表記の改革は行われている。朝鮮半島では1948年に「ハングル専用に関する法律」が、韓国では1970年に漢字廃止宣言が発表されている。また、トルコでも1928年アラビア文字が全廃されて、ラテン文字が採用されるようになったし、モンゴルでも1941年にモンゴル文字を廃止し、キリル文字によって言文一致の表記が行われるようになったという。私は現代日本語が今のような形で現代日本語となったところに暮らしてきているだけで、そうでないものが当たり前になったところを想像するのは難しいけれど、今ではないしかたの日本語が標準であってもおかしくなかったのか、と思われる。


 さて、東京大学で博語学を学び、ベルリン大学へと留学した上田万年は、1894(明治27)年に帰国する。この年万年は「国語と国家と」という演題で講演を行っている。

日本の如きは、殊に一家族の発達して一人民となり、一人民発達して一国民となり者にて、神皇蕃別(じんのうばんべつ)の名はあるものの、実は今日となりては、凡(すべ)て此等を鎔化(ようか)し去(さり)たるなり。こは実に国家の一大慶事にして、一朝事あるの秋(とき)に当たり、われわれ日本国民が協同の運動をなし得るは主としてその忠君愛国の大和魂と、この一国一般の言語とを有(も)つ、大和民族あるに拠(よ)りてなり。故に予輩(よはい)の義務として、この言語の一致と、人種の一致とをば、帝国の歴史と共に、一歩も其方向よりあやまり退かしめざる様(よう)勉めざるべからう。かく勉めざるものは日本人民を愛する仁者(じんしゃ)にあらず、日本帝国を守る勇者にあらず、まして東洋の未来を談ずるに足る智者にはゆめあらざるなり。

(中略)

故に(中略)偉大の国民は、(中略)情の上より其自国語を愛し、理(ことわり)の上より其保護改良に従事し、而して後此上に確固たる国家教育を敷設(ふせつ)す。こはいうまでもなく、苟(いやしく)も国家教育が、かの博愛教育或いは宗教教育とは事替わり、国家の観念上より其一員たるに愧(は)じざる人物養成を以て目的とする者たる以上は、そは先ず其国の言語、次に其国の歴史、この二をないがしろにして、決して其功を見ること能(あた)わざればなり。


日本人という単一民族の統合として戴かれている日本語、という言語観が示され、帝国主義政策の中での国語政策の必要性が説かれている。この考え方の基本には、比較言語学・比較宗教学の学者であるマックス・ミュラーの影響があるという。さかのぼれば同系統の言語を用いていることが明らかになったインド人とヨーロッパ人とを、ミュラーはあわせて「アーリア人」と呼び、アーリア人種の優位性を強調する思想を説いた。万年の講演や思想も、そのような帝国主義的時代の潮流のもとにあった。


 帝国大学*5教授に就任し、のちに文部省学務局長兼文部相参与官にも就任した万年は、国家のなかで統一的な国語を制定するために奔走していく。彼は、国語を上流階級や専門家だけでなく広く一般のものにするためには、表記としても、表現としても言文一致が必要だと考える。例えば明治30(1897)年1月の講演「国語会議に就きて」に万年の主張がみえる。万年は、方言による発音の違い、長音記号の使用や歴史的仮名遣*6について触れながら、仮名遣いを発音に基づき、国家の中で統一したものとすること(そしてそのための組織として国語会議をもうけること)を主張した。明治33(1900)年、文部省は「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべきかんじを千二百字に制限」し、「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定する。これを受けて、「棒引き字音仮名遣い」*7と呼ばれる新しい表記スタイルの教科書が登場した。

お花は、為吉と云ふ人形を、ふとんの上にねかして、片手で、其のはらをさすって居ます。是は人形が、病気にかかったと云って、かんびょーのまねをして居るのでございます。(中略)
お花「為吉は、昨夜より、腹が大そーいたむと申してないてばかり居ます。」

兄モ、弟モ、一ネンジュー、ヨクベンンキョーイタシマシタ。(中略)父母ハ、二人ノコドモニベンキョーノホービダトイッテウツクシイヱヲ一マイヅツヤリマシタ。
(金港堂『尋常国語読本』1900)

とはいえここで発音と一致しているのは、長音部分についてのみで、「云ふ」であったり、助詞の「を」などについてはそのままになっている。万年や、その弟子である芳賀矢一らは、文部省内に設置された「国語調査委員会」でさらに調査を進め、明治41(1908)年には、発音主義の改訂仮名遣いが施行される予定となっていた。しかしその新仮名遣いは文部省参事官岡田良平や、枢密院や貴族院の反対者、鷗外などによって覆されてしまう。新仮名遣いの制定は、戦後の1946年11月内閣訓令第8号,内閣告示33号「現代かなづかい」まで持ちこされたのだった。


 この本では他にも、徳富蘇峰の『国民の友』や、当時の出版業界の話、森鷗外坪内逍遙高山樗牛と繰り広げた論争、19世紀ヨーロッパ言語学の展開、そしてグリムの法則とそれが日本語でも成立することを示した「P音考」等々、近代史・文学史言語学にわたるいろいろな話が登場する。はじめて聞く話と聞いたことのある話とが渾然としていくのも面白くて、世の中には永遠に勉強することがあるな、という気持ちになる。あちこちを照らされることで、すごく大きなもののその大きさが一瞬垣間見せられるような読み味だった。(その分個々の出来事がどう進行しているのかつぶさについていくのはちょっと難しいかった。)私の知っているような本では、照らせる範囲のものを対象に、それをじーっと見たり、論理や時系列にそって追いかけていくようなものが多かったので、もっとこの手の大きな話をする本も読んでいけたらいいなと思う。


 ところで最近、こんなホームページを見つけた。(見つけたはみつけたものの、ページがたくさんありすぎてそんなに探索はできていない)

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報

この文化庁の国語施策情報には、この本で取り上げられてきた審議会の資料や、本当に新仮名遣いが決定された戦後の国語審議会の議事録もあって、内容も審議会の文体もなんかおもしろい。

*1:例えば、「が」は江戸では鼻濁音的な発音がされるが、東北ではそうではない、など

*2:本の内容紹介と共に引用しているものはみんな孫引きです

*3:第一歌集としての『NAKIWARAI』(明治四十三年)は、ロマンチックな感傷性の上に、覚めた現実認識を示している。またこの歌集は、ヘボン式ローマ字綴りによるもので、長くローマ字運動に携わる善麿の初志が反映されてもいる。(小高賢『近代短歌の鑑賞77』)

*4:八一のひらがな、分かち書きのスタイルは、最初からのものではない。・・・・・・掲載歌のような表記がとられたのは、二十六年の『会津八一全集』からである。その「例言」に八一は、
 いやしくも日本語にて歌を詠まんほどのものが、音声を以て耳より聴取するに最も便利なるべき仮名書きを疎んずるの風あるを見て、解しがたしとするものなり。欧米の詩のいはば仮名書きにあらずや。
と述べ、また「一字一字の間隔を均一にせば、欧亜諸国の文章よりも、遙かに読み下しにく」いので分かち書きの方法を取ったとしている。(小高賢『近代短歌の鑑賞77』)

*5:東京大学のこと。1886ー97までの名称

*6:万年の発言中には「歴史的仮名遣い」という用語は用いられていない。万年の表現を用いるならば、仮字遣には国語仮字遣、字音仮字遣、訳語仮字遣があり、前者二つが歴史的主義、訳語仮字遣のみが音韻的主義による、ということだ。

*7:この表記や、「は」や「を」も発音通りに表記された文章などを見ると、現代の仮名遣いも別に完全に発音通りにやってる訳ではないよなあというのがよく分かる

でも歌でなくてもよかったということ鴨川を来ていつか言ったね

 

でも歌でなくてもよかったということ鴨川を来ていつか言ったね

(でもきみでなくてもよかったということ暮れる川辺でいつか話そう/山中千瀬)

 

              *

 

会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい/永井祐

 

背の高いあなたの日々へ降る雨は(元気ならいい)私にも降る

(どこか遠くでわたしを濡らしていた雨がこの世へ移りこの世を濡らす/大森 静佳)

 

すぐ何かけなしはじめるそのときも愛嬌だけはあるよねきみは

 

「その声は、我が友、李徴氏ではないか?」

とらくんが虎ならわたしは牛だから抱くほかない自尊と羞恥

 

喫茶店行くと言ったね とびきりのムカつく話を披露してこう

むきになっても本気マジでやっても定型詩 ゆうべぴょんすと月をいく夢

書きなぐっても書きなぐっても定型詩 ゆうべ銀河に象あゆむゆめ/加藤治郎

 

おどろいてえっ、あっていうきみの声をかわいいとか思っちゃってごめんね

(左利きには左利きなりの苦労とかあるのになりたがっちゃってごめんね/中澤詩風『かんざし』2号)

おしぼりを投げつけていけ ゆるさないことはいつでもゆるさないこと

 

完熟の黄身をめざして茹でているそれでいいのさ神慮は不審/大隅雄太『京大短歌』22号

沸騰しおよそ十分不審ならそれより先はなれの采配

初めての車のシートを一人でたおす 大人がひとり息をしている/樟鹿織2017.2.9(京大短歌歌会の記録)

車を使うのは大人だと思ってた すぐに(いつから?)大人のじかん

 

わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる/葛原妙子

勝手かもしれないけれど百首くらい作ってよ紋章をかかげて

 

お祭りのつらなる道を昇りきてほんとうのお祭りを見た夜

はしゃぎつつなお柔らかい声色であなたとつづく映画のはなし

 

小籠包か~って笑いがとまらずに食べるはるさめスープ

(幸せになりたい笑っていたいなんていうかな、小籠包だよ/寺山雄介(京大短歌歌会の記録 2017.1.19))

 

進みたい道を見やればもう親がレールを敷いてくれてたらしい/川崎瑞季『京大短歌』22号

好きなだけ門出と帰還をするだろう京都駅から路線図ひろげ

 

小林通天閣のうろんな饒舌が絡む短歌とネットと人と

(万国旗つくりのねむい饒舌がつなぐ戦争いくさと平和と危機と/塚本邦雄

 

アトラクション終えてるような落ちつきの、ふと目をやればよく眠る人

 

椰子を蹴れば匂いがするよこの感じ、こんなのは人生だからだめ/濱田友郎

こんなのが人生だから年金を職場で払う書類をかくよ

一切の濱田をほめて河原町

(一切の望みを捨てて避雷針/濱田友郎「一切の望みを捨てよ」『京大短歌』22号)

 

死のはなし、生きる時間が混じり合い私に歌を詠ませる多く

(死ぬ気持ち生きる気持ちが混じり合い僕らに雪を見させる長く/堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』)

 

柄のない服のあなたのしずけさが気づけば笑みへ移りゆく夜

あなたごときに汚されるわけない夜の月を割るならきっぱり縦に/安田茜

わたしたちを汚すに値する人はいないよ月が見えかくれして

 

結果的にたどった道をそう呼べば運命なんだぜんぶがぜんぶ

(お団子ののったお皿を持ち上げてお祭りなんだぜんぶがぜんぶ/阿波野巧也『羽根と根』4号)

ぼくらはぼくにもうならなくて三月の、ほんのり見える鴨川デルタ

 (ぼくにはぼくがまだ足りなくてターミナル駅に色とりどりの電飾/阿波野巧也『京大短歌』20号)

 

              *

 

鴨川に集ひし日日は移ろへど帰りてをゆかな京大短歌けふたんの辺に

(旗は紅き小林おばやしなして移れども帰りてをゆかな病むものの岡井隆

 

短歌のための時間があった長浜のsingin' in the rain なんどでも

(あなたのためのぼくでいたいよ夕暮れのsingin' in the rain とめどない/阿波野巧也『羽根と根』2号)

 

人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天/永田紅

ユリカモメがいつからいなくなったのか分からないまま春だね、行こう

 

 

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2017.3.8.京大短歌追い出し歌会の詠草

詞書の宛名は削除・下敷きにした歌の出典をカッコに入れて明記しました。元のバージョンはじきにきょうたんHPの歌会の記録にのると思います。

京大短歌という四年間の吟行でした。ありがとうございます。

 

洞田明子の〈私〉

 中野サンプラザに行くときはほとんど、カフェオレのせいでお腹の調子が悪くなっている気がする。2月25日の洞田の批評会に行って、すごく面白かったので、その会の話の部分や私が考えたことの話をします。
 (以下発言と書きつつ誰のと明示しないものはみんな)発言者があいまい(すみません)だけど、『洞田』についてコンセプチュアルだとか、実験的だとかいう話が出ていた。
 私もこれは問題提起や考察が明示されていない実験で、これをいろんな向きで切っていろんな議論ができるのではないかっていう可能性にすごくわくわくした。でも斉藤斎藤さん(や他のパネルさんも?)実験の目的が示されていないことに対して否定的な立場で、その点や、歌集批評会という制度において『洞田』を扱う点やその他についてひっかかってはるようだった。批評会を聞いて反省したことは後述します。

 確かに論文だったら序論の問題提起や考察は大事なので、実際に問題提起→実験→考察、みたいな形式のなかで洞田を考えてみたい。

 実験系の論文の形式にあてはめてみよう!(耳学問だけど) 実験系の論文の形式をいくつか検索して(こういうのを見た)

http://tyamlab.web.fc2.com/tips/writing.html
http://wakate-lab.sho.geo.jp/hp/3-2.shtml

いわゆるIMRAD型というのに従う。以下にやってみたのはひとつの例という感じで、他にもいっぱい問題提起や考察のしかたがあるはず、夢が広がる。


やってみた
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論文タイトル: 歌集『洞田』に基づく短歌の文脈についての考察

要旨(省略)

序論(introduction)

短歌の一首は、場(とは?)によってどのような読まれ方をするのか? 〈私性〉(とは?)はどのように歌の読みを左右するのか?

特に短歌連作や歌集の中での一首の読みと作品全体や作者(とは?)との関係において

特に先行研究(とここでは呼ぼう)には、瀬戸夏子さんの『町』の中での、自作と引用歌を交互にとりまぜた作品*1や、歌集『町』など。特に前者では、引用歌が瀬戸さんの歌の磁場に引き込まれた感じがした。後者については、技術点*2がそろっている(堂園さん)などの発言

方法(methods)

テーマ詠「駅」の募集

集まった歌を落とさず変えず、短歌同名ユニット太朗が編集(詞書は任意に付与)して配列する

洞田明子歌集『洞田』へ

Ⅰ部は詞書きを多用し、性別、来歴、属性の提示、Ⅱ部はトポスをそろえること(??わたしは言われたことが理解できていない)、Ⅲ部は文体的な統一性からの〈私〉像の構築(これら大辻さんせいり)

結果(results)

A. 一首取り出すと/作者名と一緒に見るといい歌なのに、歌集中ではその魅力が削がれている歌がある

B. Ⅰ部は属性が分かるけど、Ⅲ部とかのほうが〈私〉がいそうな感じがする(という発言)

考察(discussion)

A →短歌一首を読むには文脈(とは? 作品を読むときに持ってくる作品以外のもの、とざっくりしよう、背景とも)が重要。連作や〈私〉像はその文脈を作る。

 出てくる事件や出来事があれねっていうのもあるだろうけど、文脈や背景が特に大事なのは、どういう抒情なのか、みたいなのが分かる。加藤克巳や森岡貞香や高瀬一誌のような作風をその人の歌と知らずに読むのは難しい(というかわたしはできる気がしない)。他にも竹山広のフセイン像をたたく少年の歌みたいな感情をどう読み込むか、どのような感情がこもっている(と読める)のか、みたいなのも。

短歌の文脈を作る二つの要素

・作品の範囲
基本/最小単位としての一首
歌たちの表題と配列
連作や歌集、ある創作者が発表したすべての歌(全歌集)
ある創作者の歌と散文の時系列的配列を含むすべての集合(全集とか?)

・作者の範囲
作品の発表された時代
作品の作り手の実人生
属性、経験、心情


 この二つの文脈的要素(独立ではない)が短歌の私性で、それをどのように補給して読むのかが私性の問題系(と定義すると議論しやすいと思うんだけどどうかなあ)。

B→私性というと、最近は後者の方が取沙汰されてきたけど前者(これを私性に入れるかどうかの議論はあると思うけど)がけっこう大事なのでは?

 すると、一首単独で素晴らしい歌ってあるのか?あったとしたらそれは、文脈が読者の手持ちのものですぐおっけーだった場合??

 作者の実人生や、アルターエゴみたいなことをしない場合でも、私性(という言葉を使わないなら作品の文脈や背景)はすっごく大事なのでは?

 エッセイと比べたら作品の修辞とか独立性があるのに、小説と比べたら作者まで作品に必要な文脈になってしまうのが短歌

 なぜか。佐佐木幸綱やカミハルさんの言うように短歌がうただったからというだけで説明できるのか(その議論、きれいに整理される感じがして好きではあるけど)。歴史的背景とだけ言ってしまっていいのか。連歌・俳句との比較……?
 個々人がある作品に対してどのように作者の文脈の範囲を考えるのかという問題。個人の考えと共同体の考えとはどういうふうに? 批評や歌壇の役割はここにあるのだろうか? なんか脱線してきた……

結論

 短歌一首を読むに当たっては、連作や作者の情報(それは実人生でなくても作風とかその作者のやろうとしてることとか)が重要になる。

 一般に〈私〉像と言われているものは、作者の性別・年齢・職業なんてものではなく、いわゆる文体とかなのではないか

残された課題
先行研究の検討不足、問題の絞りが甘い、結果と考察にちょっと飛躍がある(わたしが勝手に急ごしらえの問題提起と考察をつけたしてみたんだから当然である)

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 こういう感じの議論がめっちゃ作れそうで、洞田の実験性!!みたいなことにわたしはテンションをあげていたけれど、批評会を聞いていろいろ誠実でなかったなあと反省しました。まず第一に、これまでのわたしの議論って太朗が歌を集めて配列するというその発想をおもしろがるところに終始してて、洞田のコンセプトしか見てないというか、じゃあ歌集のなかみはどうでもよかったのか、とか、この歌集が洞田明子歌集であることの洞田明子というたった一人の顔はどうなってるのかということを無視していて洞田明子(たち)に対してなんか失礼だったと思った。

 実際に、わたしが思った洞田明子いそうって気持ちは駅アンソロジー対洞田明子歌集、ぐらいの荒い目盛りでやってたものだし、どこかで歌を集めてきたものだしなって一首一首をしっかり読むことをしていなかった。読みづらいとか、本当に一人の姿が出てきているか?とか、失敗しているのでは?っていう議論を聞いて(花山周子さんの洞田明子はこの歌ってできるいい歌がないでしょっていう話とか印象的)、全然ちゃんと読んでなかったなあって分かったし、太朗レベルの、実験性ばかりおもしろがって、洞田明子の作品を作品として扱ってなかった……
 第二に、歌集批評会というものについての認識の雑さがあって、読書会とかとは違って、洞田明子の作った歌集を議論する批評会なんだよなあということ。これはパネリストの、どれだけ批評しても相手がいなくてやりづらい、みたいな話を聞いて(それをだいぶ頭のなかでころがして)はじめてそうか~って思った 。
 それに、歌を送った人たちは、自分の作品がこういうふうに〈私〉を剥奪された形で怒らないのか?って話が出てきて、私も洞田明子なんだけど、そういうことを遠くにうっちゃって実験だ!!めっちゃおもろいやん!!ってなってて作品に対して不誠実でごめんなさいだった。

 花山さんが最後の方で作者論と読者論の話をしていたの、ちゃんと分かれなかったんだけど聞いとけばよかった。読者論たのしいってところからもう少し何か考えてみなきゃなのかも。

 いやでもわたしが一般論とか読者論に興味があるだけかもしれないけどすごい面白い実験という要素はあると思ってます。これは短歌さま(短歌さまは二次会の吉岡さん談話)を神棚にのせたままにしないで云々しようとする態度だけど、短歌さまを神棚にのせただけで満足するのもったいないやん、ってきもちが私にはあるので…… この実験からものすごい切れ味のいいことが言えるかもしれないし、勝手な持ってき方をして恣意的な結論に行ってしまうこともありうるような気がする。

この文章は批評会であった話の完全な再構成ではないけど、いくつか印象に残った話のメモ(後半のパネルディスカッション、発言者より内容優先でメモしていたので誰の話か(この人かも、というのはあるけど)分からなくなっちゃった:情報求)

・一人の作者が作った歌ですってされるとこの人はこういう人かって思うのに、洞田/戸綿とされるとこの歌はこの分類されてるけど作者は男/女じゃない?みたいな気持ちになってしまう。

・女と男や場所など、既知のものをてこにして未知のものを手渡すしかない、その害
→ 一人の(肉体を持った?)人という枠をはずす、形式としてはポストモダンなのに、内容としてはプレモダンになっている

 すべての洞田明子さんとパネリストさんと太朗のおふたりと今日会った人たちのおかげでこんなに楽しいです。ありがとうございます。


2017/3/3
誤字の修正、脚注の追加

*1:誰かこの話をしたり比較をしたりしてほしかった

*2:洞田のなかの各歌の技術点のばらつきという斉藤斎藤さんの話を受けてのはなし

言語学と短歌

 卒業論文を書いた。言語学の語用論という分野、関連性理論について。語用論というのは、言語と実際の文脈との関係、どのようにして人は話し手の意味しようとしていることを理解しているのか、ということを領域としている分野だ。あとで要旨をそのままのせるけど、卒業論文では、関連性理論の話と、それに則ったら短歌がどういう仕組で理解されているのか?という話をした。

 卒論で短歌の話をしてしまうなんて、ひどくつきすぎで困ってしまう。私は、自分の専攻について何だと言えばいいのか分からない時期が長くて、専攻を言語学に決めたのが三回生の後期、就活のどたばたをやって卒論で関連性理論をすると決めたのが六月、実際就活が終わって卒論に手をつけ始めたのが八月、みたいなことをやったので、準備不足で総力戦をやるしかなかった、仕方ない。でも、このテーマ自体はちょうおもしろいところだと思っている。おもしろいよ!

 

要旨(転載):こういう話をしました

 短歌作品の鑑賞は、表現された言葉から様々なイメージが引き出され、また、人によってその捉え方も異なることがある。人はなぜ、そのような作品解釈を行うことができるのかという問題はいままで明らかではなかった。言語の、文脈と相関し、またコード解釈的ではない意味の側面を扱う語用論は、グライスが、言語理解に推論や意図の認識という考え方に焦点を当てたことで大きく進展した。関連性理論は、グライスのこの考えを受け継ぎ、さらに、認知科学的な立場から人間が言語を理解する過程を説明しようとした理論である。その主張は、1. 人間が関連性という概念で特徴づけられる、情報のより効率的な処理を目指していること、2. 伝達行為は、最適な関連性の期待を聞き手に抱かせるものであること、という二つの関連性の原理にまとめられている。関連性理論は、いわゆる字義通りの表現と修辞的な表現とには明確な境界は存在せず連続的な差異でつながっているという見解をとり、その双方に統一的な説明を与えようとしている。本稿では、このような関連性理論を用いて、その背景であるグライスの言語理論から確認したのちに、短歌の解釈の説明を試みる。その結果、取り上げた作品の意味的解釈は説明することが可能であり、短歌の意味解釈過程と関連性理論の体系に符号があることが分かった。また、文学作品の関連性は、個人の世界についての表示の構造的側面を改善することにあるのではないかという主張を行った。他方、短歌の韻律的側面や、作品解釈の社会的側面については扱うことができず、個人と個人の内部の心的表示を前提にしている関連性理論の自然な拡張が必要であると考えられる。

 

というわけで卒論を読んで欲しいです。何らかの手段でパソコンのアドレスをご連絡くださればデータを送ります*1

 

 

Q. ほんとに関連性理論で短歌の解釈が全部説明できるの?

A. 論文だから強気に書いたけどあやしいところもある…… 私は関連性理論にかなり賛成しているけど、韻律の話ができないというのは(論じていない・今後の課題に書いた)は短歌の説明にとって致命的。関連性理論における世界の表示や想定、概念や概念による想定の結びつけの機能なども、もっと洗練した説明が必要だと思う。

 

Q. 言語学とか、学問の言葉で短歌の話をすると、短歌がつまらなくならない?

A. そんなことは絶対にない。理論的・学問的な俎上に載せたぐらいでつまらなくなるものがあるならそれは元からつまらなかっただけ。ある人が、何かを学問の分野に持っていって議論したのがつまらなく見えることはあると思う。それは論者の能力や適正の問題なのでがんばります。

 

Q. 関連性理論があれば、これまでよりもいい批評ができる?言語学を使って短歌が解釈できる?

A. できない。卒論中にも書いた(ので読んで)けど、関連性理論はすでに行われた解釈が、どうしてその解釈であって、ほかの解釈にはならなかったのか、ということしか説明しない。言語学が一定のアルゴリズムとしてはたらいて、短歌の解釈をすることができる、みたいなこともない。でもそうやって、自分の読みの理由を説明することは、批評を人と共有するという点では意味があることだと思う。言語学についてもそうかな。現象を語る言葉が共有されていたら、人によってどういう立場に立つとかがあっても議論がちゃんとできるのでは。最近、斉藤斎藤さんのツイッターとかでナラトロジーの本の話題がツイートされてたりするけど、ナラトロジー(これは言語学というより構造主義的背景からきた文学理論?なのかな?)だって、私性の話にすごく関係すると思う。

 

Q. なんでこんなに趣味に走った卒論が書けたの?

A. 総合人間学部という文系理系問わずなんでも勉強できる学部にいたからかな?うちの大学全体でも、たぶん関連性理論をやってる人は誰もいない。先生にこれがやりたいんです!と持っていって、語用論を卒論で扱うことはどうかなあと言われたけどおしておした。しかもうちの先生は学部生のゼミとか研究室とかもなくて、ある程度書いたら見せてコメントをもらって、みたいな感じのものすごい放牧だった。

*1:2017/2/18追記:ここのページに私が読んでほしいですというのを書いているのを消さない限り、いつでも・お知り合いに限らずどなたでもお気軽にどうぞ。分野が違う方も、理論の話を長めにやってるので大丈夫と思いますし、受け取ったら絶対感想言わなきゃいけないというものでもないです。