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CHITENの近現代語

 地点という劇団があります。今出川通白川通の交差点にアンダースローという劇場があって、そこを拠点に活動しています。地点の公演はどれも観ていてあがるものがある、というとざっくりすぎるけど、圧倒的な体験だと思います。これから、地点のレパートリーで私が一番好きな『CHITENの近現代語』のことを書きます。これもやっぱり圧倒的な体験で、なんかすごいです、見てください、感想きかせてください、ぐらいしか言えなくて、将来的にこれがいかにいいのか書けるようになりたいのですが、結局書かないと書けるようにならないだろうと思ってきたので書きます。また近現代語を見て、もっとよくまとめられるようになったらさらに書きたいです。

 

 まず、『CHITENの近現代語』は、複数のテキストがコラージュされた作品です。使用テキストは、パンフレットによると以下のようになっています。

大日本帝国憲法(告文・憲法発布勅語・本文)、朝吹真理子『家路』、終戦の詔勅玉音放送)口語訳、日本記者クラブ公式記者会見記録(1975/10/31)、別役実『象』、『犬養木堂氏大演説集』、F.カフカ『彼』(長谷川四郎訳)、日本国憲法前文

 どこかで又聞きした記憶では、『家路』は繰り返される夏と戦争(のイメージ?)の話、『象』は原爆症の男の戯曲であるらしく、記者クラブの記録というのは「陛下、戦争責任についてどう思われておられますか?」という裕仁天皇への質問とやりとりです。なかなかそうそうたるテキストですね。誤解のないように一応言っておくと、これらが反戦とか、何かのメッセージを作り上げるとかいうことではないです。

 近現代語は、目をつむった五人の役者さんが手さぐりの動きをしながら舞台に横一列に並び、朕は……、すめらわれ……、と文語調の語りから始まり(たぶん御告文と憲法発布勅語でしょう)、途中から大日本帝国憲法の本文に入ります。テキストの話され方は、音楽的というのか、音節や抑揚が外されているところ、複数人が追いかけたりかぶせたりように言葉をつづけるところや、声を伸ばしたりするところなど緩急があります。そのうちに語りから色々なシーンが繋がれて展開します。全体を通して、声を聞くことの快楽があるなあって思います。

 遅れて一人だけかっちりした服の役者さんが舞台の端の椅子に座ります。彼は条文を読み上げたりせず黙ったまま、ほとんど座っていて、敬礼しているときもあります。役者さんはみんな人間っぽくないというか、個人の意志や人格のようなものと遠い印象なのですが、彼はとくべつ象徴的ななにかを担っているような感じです。

 条文や玉音放送を朗読している時、役者さんたちはある種の媒体みたいで、自意識とか人間性から遠いのは、そりゃそうとも言えます。断片的にさし挟まれている役者さんが登場人物になって会話したりするシーンでも、セリフは異化されているけれど、強い情感や力をもって迫ってくる。その登場人物は、ある気持ちや意志でもってなにかを言葉や行動に移す、という流れではないように見えて、それが自意識からの遠さなんでしょうか。私は最近、登場人物の意思決定と行動で物事が進展するタイプの物語と、登場人物もいろいろ行動するけれども彼らが他人や世界を変えられるわけでもなくてただ翻弄されるタイプの物語と、みたいなことが気になり始めて、(語り手が人物の心中を描写するかどうかによっても差がでてくるのかもしれないけど)、近現代語のそれぞれのシーンも、チェーホフの戯曲も後者なのかな、と思ったりします。これはもっと小説をたくさん読んで知ってから考えてみたいです。

 条文パートとシーンパートがコラージュされているなかで、条文パートは大日本帝国憲法玉音放送日本国憲法前文、と次第に時代が進んでいきます。玉音放送が役者さんの口を通して語られるなかで「臣民」という言葉ははもって強調されます。近現代語の最後の部分は、私がまだはっきり整理できていないのですが、犬養毅の演説のなかで間投詞のように挟まれる「話せば分かる」や、その背後でなされる足し算は議会制民主主義に対して何か皮肉のようです。一度目は、外部の力と、端っこに座った彼の口パクで、二度目は演説をしていた女性一人の熱唱として君が代が歌われます。そして、いちおく、にせん、ろっぴゃく、…(正確な数値は忘れましたが一の位まで言われます)……国民!(正確には、こっくみーん、と)言われて劇は締めくくられます。いや、どこを終わりとするのか正直分かりません。そのあと役者さんたちは、観客の私たちにむかって、ブラボー!と言ったり、満面の笑みで拍手をします。めっちゃ拍手です。四回も見ているのに毎回たじろいでしまいます。最近、これも、条文の時代が進んでいくのも、戦争とか天皇とか憲法とか、過去っぽくなってしまいそうなこの作品を、観客の私たちに差し出しているのかなあと思うようになりました。国民はわれわれなんですよね。

 

2017/2/1追記

どんな内容なのかだいたい分かっちゃってどうなのかという指摘をもらったことを思い出したんですけど、演奏会とか、全部知ってる曲目だとしても聞きに行く、むしろ知ってて好きな曲のほうが聞きに行くじゃないですか。上演の空間を共有するということがすごいたのしいと思うので見に行く人が私のまわりにも増えたらいいなという気持ちで書きました。こういうところがあってこう思いましたというここで書いた書き方はあんまり上手じゃないなと思ったのでもっと良い書き方ができたらいいなと思います。