谷川由里子『サワーマッシュ』
『サワーマッシュ』は、「サワーマッシュ」というたった一つの連作からなる歌集である。一般に、何らかの主題を表現する連作や、人生の出来事を描いた連作を積み上げた歌集を作る/読むときは、散文を作る/読むときと同種のテクニックが利用されている。この点で、サワーマッシュが作者の人生を物語るわけでもなく、何らかの主題における統一をめざすわけでもなく、数百首の歌を途切れることなく配列したことは、読者に、ただ短歌だけを読ませようとする強気のスタイルだとも言えるだろう。
短歌だけを読ませると言っても、歌の一首一首が孤立しているといったことを意味するわけではない。この歌集では、それぞれの歌の文体やモチーフから、世界と交歓し、真新しく躍動する心が立ち上がってくる。
全身にくる会いたいという気持ち山ですという山の迫力
夜をめぐるモノレールいつみてもピークいまこそがピークすすんでいくよ
芍薬をきみにあげたい芍薬は、大きい、鮮やか、花びら、たくさん
心の躍動が現れている歌を引用した。一首目、「全身に/くる」の句またがりが、会いたいという気持ちを加速させる。わたしの全身に会いたいという気持ちが来ることを述べた上の句に対して、(わたしの全身において)山の迫力が感受されることを述べた下の句は、どことなく構造的な反復性を備えている。この反復性が、会いたいという気持ちを上乗せした山の迫力を生み出す。
二首目では、繰り返される「ピーク」という言葉でそれぞれ字余りする韻律が、語義と合わさって歌のボルテージを高めている(評者は「夜をめぐる/モノレールいつ(/)みてもピーク/いまこそがピーク/すすんでいくよ」という句切りでこの歌を読んでいる)。
下の句の休符がすべて埋められている三首目では、その4・4・4・4のリズムで芍薬への形容がなされている。ふつう、七音の句が4・4のリズムになってしまうと、日本語の四拍子のリズムが明確になりすぎるせいか、どことなく稚拙な印象を与えやすい。しかしこの歌では、この印象を逆手に取るように4・4・4・4のリズムが強調されて、芍薬へのまっすぐな感嘆が伝わってくる。リフレインを含むフレーズの畳みかけ、句またがりと字余り(字足らず)は、サワーマッシュに目立つ文体的特徴である。これらの特徴は、内容と韻律の両面から、歌のエネルギーを高める方向に作用している。
一方、サワーマッシュが描くモチーフとして特徴的なのは、何かをしてくれたりしてあげたりする相手として登場する、風や月をはじめとした人ならざるものたちだ。
月がいちばんポケットに入れたいものだなって月に聞かせてから寝る
風に、ついてこいって言う。ちゃんとついてきた風にも、もう一度言う。
一首目、月を「いちばんポケットに入れたいもの」だと考えるだけでなく、そうであることを寝る前に月に聞かせておくのは、この世界がわたしの気持ちだけで完結するものではないからだ。月の気持ちも考えて、月にも心配りしておくことが望ましい。二首目については「ちゃんと」という三句目に注目したい(評者はこの歌を「風に/ついてこいって言う/ちゃんと/ついてきた風にも/もう一度言う」の句切りで読んでいる)。この歌では、単に風に対して呼びかけたということが言われているのではなく、そうして呼びかけられた風が「ちゃんと」作者に応じてくれるような世界のあり方が描かれている。
このような人ならざるものたちとの交歓というモチーフには、どことなく児童文学を思わせるものがある。SF・ファンタジー作家であるル=グィンは、動物たちとの交歓が、作品世界に他者を導入する作用を持っていることを指摘した。ここでル=グウィンが念頭に置いているのは、世界の中心が人間である世界、画一化されなじみのないものは存在しない世界との対比における、私たちとは異なる他者が存在する世界、私たちの知識や論理では捉えきれない余白が存在する世界である。
上記のル=グウィンの主張は、彼女が『いまファンタジーにできること』というエッセイ集で、ファンタジーをはじめとした児童文学について述べたことである。この本を読んで評者が真っ先に思い出した作品がサワーマッシュであった。サワーマッシュが立ち上げる世界は、このル=グウィンの主張を補助線に解釈することができる。すなわち、私たち人間に与えられているよりも大きな現実の存在を肯定するような世界である。
ずっと月みてるとまるで月になる ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ
サワーマッシュの巻頭歌は、まさしくこのような世界に読者をいざなう入り口として機能している。月を見ることと、月になることとを結びつける上の句も魅力的だが、この上の句と何の関係を結ぶわけでもなく、とつぜんに「ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ」という下の句が現れることがポイントである。とつぜん現れたこの下の句は、ただそういうものとして受け止めるしかない音楽だ。読者は、ドゥッカ・ドゥ・ドゥと一緒に口ずさみながら、続く一連の歌群に分け入っていくことになる。散文の論理で説明できない現実の存在を受け入れたとき、世界は真新しく躍動しはじめる。
橋爪志保『地上絵』/阿波野巧也『ビギナーズラック』歌集批評会を開催します(2024/10/19)
歌集批評会とは、歌集についてパネリストの方の発表とディスカッションを行い、一部会場の参加者の方からもご発言をいただきながら、歌集についてさまざまに批評を行う会です。
2024年10月19日(土)に、橋爪志保『地上絵』と、阿波野巧也『ビギナーズラック』の歌集批評会を、以下の通り開催いたします。
実行委員会一同みなさまのご参加を心よりお待ちしております。
【開催日程】
2024年10月19日(土)12:00〜19:00
12:00 ‐ 15:00 『地上絵』批評会(受付11:30)
16:00 ‐ 19:00 『ビギナーズラック』批評会(受付15:30)
19:00 ‐ 懇親会
【会場】
京都教育文化センター会議室 302号室
【パネリスト】
『地上絵』:中津昌子、平岡直子、染野太朗(兼司会)
『ビギナーズラック』:奥村鼓太郎、島田幸典、服部真里子、土岐友浩(司会)
【参加費】
単独参加:2,500円(学生2,000円)
両方とも参加:4,500円(学生3,000円)
懇親会:4,000円(学生3,500円)
※学生料金の方は学生証をご提示ください。
※当日受付にて現金でお支払いください。なお、おつりのないようご用意いただけますと幸いです。
【申込】
フォームよりお申込みください
https://forms.gle/51L7DqTknwFvSFBx9
【申込締切】
2024年10月17日(木)
【問合せ】
『地上絵』/『ビギナーズラック』歌集批評会実行委員会 chijoeluck@gmail.com
代表 牛尾今日子