あたらしい秋

 

ふりかけのちょっといいのを売っているスーパー 駅からは遠くて

 

四畳半のドアをあければ今朝食べたもののにおいがすることもある

 

手を洗う水に手首を冷やしつつ遠くからくるやさしさ 誰の

 

冷蔵庫の音がやむとき閉じているまぶたの中でひろくなる部屋

 

映画館を出て道なりにビルがある上のあたりが夕陽の色の

 

窓を開けば世界をわたる秋風をほめうたとして食器を洗う

 

歩いたらどこへ行けるということもなくてほどよく疲れるからだ

 

初出:『八雁』2017年11月通巻36号

現代の対話のために

初出:『八雁』2018年5月 通巻39号

 
 渡辺が作品を批評する姿勢は、いわば自文化中心主義的なものであり、そのような姿勢で書かれたものをわたしは到底信頼することができない。と、述べてみたとしよう。これは、書かれたものへの印象を、一足飛びに作者の姿勢の問題へとスライドさせた態度論である。
 筆者は前稿を、「よほど深く緻密な作品への洞察に基づかない限り、作歌姿勢についての議論は、個人の信念の押しつけか、一般化された言葉が上滑りするほかにない。批評において作歌姿勢を話題に載せることにどれほどの意味があるだろうか」と結んだ。しかし渡辺の応答を見る限り、前稿の説明は不十分であったようだ。本稿では補足が必要だと思った点について、彼の三つの章立てに合わせて補足する。

 

一、


 渡辺は、自らが過去に引用した谷川電話の〈国かいのナマちゅう継がぐにゃぐにゃでこわいあいしていんふるえんざ〉、〈清宮くんの打球が全然落ちてこない ぼくには帰るラブホテルがない〉、〈とりあえず便器に座ってぼくらしいうんちの仕方から考える〉という作品や、吉岡の〈きみがきみの塔婆のように立っていて言葉ときもちしかつうじない〉の表現、〈言葉と・きもち/しか・つうじない〉という句跨がりを批判したのちに、次のように述べている。

谷川や吉岡には短歌の形式と真正面から取り組み、五七五七七の韻律を大切にして詠おうとする姿勢が感じられない。
 さらに表現の幼さも気になる。(中略)作品に舌足らずな言い回しが目立ち、作者自身の人生に裏打ちされた具体的な手触りがない。(中略)私が「新しい表現を生み出すことに気を奪われ、自分が本当は何を詠いたいのか、あるいは何を詠わなければならないのか認識していない向きもあるようだ」と書いたのはその点を指摘したのである。

 

 谷川電話の連作「人間ですよ!」については、「言葉が上滑りしている」と渡辺が述べたのと近い意見だったため、前稿では特に触れていなかった。渡辺が「舌足らず」と呼んだ文体は、意図された軽薄さと品のなさからくる欠落感の表現だと読んだ。しかしこの点においては、すでに穂村弘の行った〈サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい〉のような仕事の範疇から出ていないように思う(吉岡の連作については「舌足らず」なのではなく、景を客観化しすぎないように制限された文体だと感じた。また、「作者自身の人生に裏打ちされた具体的な手触り」がないことと、「表現の幼さ」や「何を詠わなければならないのか」についての認識とを関連付けようとするのは飛躍が大きすぎるだろう)。
 右の吉岡の句跨がりのように下の句が四・五・五といった三部分に分割しうる韻律のパターンを、筆者は、定型である七音を下敷きにした二拍三連符のような感覚で捉えている。楽曲中の二拍三連符同様に、やや強調的で快感のある、しかし多用されるとしつこくなる韻律パターンだと感じる。言うまでもないことだが、句割れ、句跨がりを含めた破調というものは定型と表裏一体の修辞である。破調があるので悪い歌/良い歌といった単純な因果関係がありえないのは、「破調」を「比喩」なり「倒置」なりと置き換えて考えてみれば明白だろう。特に、助動詞や助詞を欠き単調になりがちな口語文体においては、定型や韻律へ対峙することが、そのまま完全な五七五七七であるとは限らない。


 とはいえ、いまは個々の作品の評価について論じたいのではない。個々の作品について、述べうる限りの批評は前稿で述べており(「語彙」という語の用い方は不注意でした。ご指摘感謝いたします)、正直筆者は渡辺がどのような作品を苦手としどのような作品を好むのかそれ自体にはさほど関心がない。作品の評価が、人によっても時期によっても異なるのは当たり前のことだ。本稿で論点にしたいのは、自身が評価していない作品を、渡辺が作者の態度論によって批判していることである。これは三へつながる問題なので一旦置いて、先に小佐野の作品に再度触れておく。

 

二、


 渡辺は小佐野の連作について、「同性愛者というマイノリティーの一人として生きる作者が、その思いを独自のイメージに託して詠ったすぐれた作品」と述べている。しかし筆者は、「独自のイメージ」というものに該当しうるものが何なのか分からない(〈分からない〉とは、いくつか意味するところの候補を予想したものの、どれ一つとして賞賛に値しうるものではないため納得できない、という意味で述べている。前稿でも表題歌にたいして「歌意が十分にとれない」と述べてしまったのはこの意味の〈分からなさ〉であった)。
 また、渡辺は例として〈ママレモン香る朝焼け性別は柑橘系としておく いまは〉の「ママレモン」という語を「社会的な批評性がある」とした。社会的に議論がなされるべき主題が扱われていることを「社会的な批評性がある」とするのなら、強いて「社会的な批評性がある」というラベル付けができるのかもしれない。しかし賞賛すべき批評性とは思わなかった。構図が見え透いていて、読者の想像や思考の範囲を出ないためだ(酷な要求かも知れないが、筆者は賞賛すべき批評性のある作品として、大辻隆弘がテロを扱った一連の作品や、斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』、今橋愛「そして」『早稲田文学女性号』といった質のものを想定する)。


 前稿で筆者は、「本作品が同性愛をテーマとして押し出している、ということだけを理由にして、(中略)「社会的な批評性を備えている(渡辺)」などと批評することに、筆者は強く反対するものである」と述べた。渡辺の応答を読んでも、「独自のイメージ」や「社会的な批評性がある」という評価が〈分からない〉ため、主題や作者の属性から遡行して、作品全体の評価が下されているように見えてしまっている。同性愛者である人物が同性愛を主題にした作品を制作したことそれ自体に賞賛すべき批評性があるというならば、作品の表現や修辞に批評の目を向けないならば、散文でも何でもを読めば十分だろう。筆者は「短歌という詩の形式が持つ力を信じて」いる(渡辺の言葉を借りるなら、であるが)ため、主題や作者の属性が何であったとしても、作品の表現や修辞の粗に目を瞑ることはできない。


 筆者がこれほど小佐野作品の批評性(正確には、小佐野作品には批評性がある、と評価する議論のあり方)にこだわっているのは、修辞的な問題だけが理由ではない。歌の表現それ自体よりも、ステレオタイプ的な人間像を先に想定して答え合わせをするような作品批評があること、そしてその問題が十分に認識されていないと感じていることが理由である。新人賞の選考において「性別当てゲーム」(服部景典「歌人という男」『本郷短歌三号』)と言われたような、作者の属性にばかり目が向けられることが問題なのは、それが”正解”しない場合があるからではない。ステレオタイプから外れたものが”違う”、あるいは”失敗している”ものとして扱われること、既成の人間像を読み取ることが目的化し、表現の細部が捨象されてしまうことにある(これは、異性愛が当たり前である社会での同性愛者への眼差しと構造を同じくしているのではないか)。
 小佐野作品は、男性同性愛者というステレオタイプの作者像を提出し、このレールの上で評価されている。個々の作品の完成度に目が瞑られ、連作の主題的な側面が注目されたという点では成功した試みだともいえるだろう。しかし女性や若者などといったステレオタイプの選択肢の中に、新たに男性の同性愛者というステレオタイプが加えられたことが多様性であるかのように評価するのは筋違いである。作品を読むべき場で、既成の社会通念が、作品それ自体よりも力を持っているという構造は変わっていない。

 

三、


 前稿で「他者の作歌姿勢というものをじかに知る手段がない」と書いたが、そこから誤解を生んでしまったようだ。渡辺が「一冊の歌集ならばもちろんのこと、たとえ数首から成る一連であってもそれなりに、作者の歌に対する姿勢は読み取れるはず」と述べたことには部分的に同意する。筆者も作品から作者の姿勢を感じることはある。
 例えば、前稿で取り上げた谷川由里子の作品や姿勢を、筆者は「本気」のものだと感じている。親しい仲の会話であれば、谷川由里子の歌は世界や短歌に対する本気さがびしびしと伝わってくるところが魅力的であり信頼できる、といったことを言うかもしれない。しかしこれは、すばらしいからすばらしい、と述べているようなもので、信頼関係の中でしか受け渡しできない言葉だ。もし前稿で右のように谷川の作品について述べても、それは価値観の異なる他者に何かを伝えうるものではなかっただろう。


 今の自分が評価できない作品だとしても、のちに読み落としていた何かに気がつくかもしれない。あるいは、そこで拓かれようとしている歌が、自分の持つ短歌観とまったく異なっているために、それを理解できていないだけなのかもしれない。初めて谷川由里子の作品を目にしてから、その魅力のありどころが実感できるようになるまでに、筆者は一、二年ほどかかっている。作品を評価できなかったことの説明に、作者の作歌姿勢の不誠実さを持ち出す発想は、自らの読みや価値観を絶対的に正しいものとし、それが他者にも共有されていることを前提にしたものだ。作歌姿勢についての議論は、常にこのような自文化中心主義をはらんでいる。そして、自らの読みや価値観が絶対ではないかもしれない、と筆者が考えるのは、現在の自分が分かる範囲の外にもすばらしい作品群が存在することを信じているためである。


 今のところ、筆者は特集での谷川電話の連作や小佐野の新人賞受賞作を評価しないが、それを理由に彼らの作歌姿勢が不誠実だと述べようとは思わない(そもそも彼らが不誠実だとも思わない)。評者によって作品の鑑賞が違いうるように、作者の姿勢というものも、自明には共有されない事柄だ。これほど筆者と渡辺の間で作品への見解が異なっているのに、作品から読み取った「作者の歌に対する姿勢」が一致している見込みは薄いだろう。態度論によって述べうることは、良いから良い/良くないから良くない、といった撞着的な論理でしかない。「よほど深く緻密な作品への洞察に基づかない限り、作歌姿勢の議論は、個人の信念の押し付けか、一般化された言葉が上滑りするほかにない」と述べたのはこのためである。作歌姿勢へと論を飛躍させる前に、批評は一つ一つの表現に即した読みや、評価軸の確認から始められるべきだ。ましてや、前々稿の渡辺の「最近の若手歌人の中には、新しい表現を生み出すことに気を奪われ(以下省略)」というような、乏しい根拠でもってある世代の作歌態度をひとくくりに批判する文章をどうして認めることができるだろうか。


 最近のご年配の歌人の中には、読みを蓄積できていない口語歌の見慣れなさに気を奪われて、作品鑑賞につまずいたことを、作者である若者の姿勢に問題があるためだ、と認識している向きもあるようだ――というのは例文であるが、この例文からも態度論や世代論へと言及をひろげることが対話を生み出さないことはご理解いただけるだろう。
 すでに「短歌の形式」といった大きな言葉や、態度論や世代論は力を持っていない。これらは、評者と短歌観や世界観を共有する範囲の人々にしか射程がないためである。批評という場で、価値観を同じくしていない他者と対話をしようとするならば、根拠や前提――作品の具体的表現に即した分析や、評者の評価軸のありどころ(もちろん態度論ではなく)――を丁寧に共有していくほかはないだろう。そして対話は、啓蒙的態度によっては開かれるものでないということも言い添えておく。

 

じぶんの信じるものはじぶんで決める

 初出:『八雁』2018年1月 通巻37号 ――『八雁』第三十六号渡辺幸一時評に反論して

 

 十一月号の渡辺幸一「形式と韻律の力を信じて」について、『短歌往来』八月号「30代歌人の現在」には「大きな不満が残った」のに対し、小佐野彈「無垢な日本で」は「意欲的な連作」として肯定的な評価ができる、という論旨であると読んだ。しかし筆者はこの双方に異なる意見をもっているため、ここで述べたいと思う。

 第一に、「30代歌人の現在」には、いくつもの心惹かれる作品があった。この特集には、三十二名の十二首連作が掲載されている。そのなかの三つの連作をとりあげる。

 

      夏草や兵どもが夢の跡

遊園地の跡地きれいな墓地となりきれいな五月雨に濡れてゐる(石川美南「夏草(LANDその13)」)

 

 石川美南の「夏草(LANDその13)」は、「夏草や兵どもが夢の跡」の日・英自動翻訳の繰り返しを重ねたものを各歌の詞書きとしている。英語にされ、再度日本語にもどされることで次々に展開する詞書きの変化が単純におもしろい。そして、これらの詞書きと併走して、歌では、誰もいない草地、兵士、夢といったイメージが重ねられている。

 

        夏の草と兵士の夢の中で夢

夜になると生えてくるのよ 灯台は光から鹿たちは脚から

        夏の芝生と兵士は決してない

パラシュート花とひらけど夢のうちへゆめゆめ兵を招いてはならぬ

        夏草に芝や兵士はいないでしょう

部屋に花/死ぬのは怖くないと祖父/江戸まで続くゆるい坂道

 

 一首目、光を起点にして灯台が生えるという把握が鮮やかであり、脚から生える鹿たちのイメージが不気味かつ美しく強められる。このような幻想性もありながら、二首目や三首目は領域が空にまで拡大した、二〇世紀以降の戦争のことを思わせる。いま三十代の人々の祖父とは、ちょうど太平洋戦争へ出征しなければならなかった世代だろう。三首目において、「死ぬのは怖くない」と述べる祖父のこれまでの生、そこからさらにさかのぼって大正、明治、江戸、と日本の近代化と帝国主義の時代が思われる、と言ったら読み過ぎだろうか。

 

信号のやすらかなまみ影ほどにながくなれたら触れにゆくのに(吉岡太朗「影ほどに」)

きみがきみの塔婆のように立っていて言葉ときもちしかつうじない

生きていても会うしかできないひとたちの墓参りとなにがちがうのだろう

  

 吉岡の連作に現れる人やものたちは、現実に根ざしながらも不思議な身体性を持っている。一首目では、「信号のまみ」、すなわち赤や青の点灯するランプやその周囲だろう。その光がやすらかになる頃合いと、影が長くなる頃合いとから、なんとなく夕暮れの風景が浮かぶ。影のようにながく伸びたからだで、信号の身体へ手を伸ばすというイメージにたいへん惹きつけられた。

 二首目の塔婆(卒塔婆)とは、「死者の供養や追善のために墓などに立てる細長い板(明鏡国語辞典)」である。自身を供養するものであるかのようにきみが立つという把握が魅力的だ。言葉と気持ちが通じたとしても、通じない何事かがあり、その到達不能性と、塔婆という語彙とには響き合うものがある。まさに人間が、モノのような存在として感じられてくる(〈きみ〉は人間ではない可能性も否定できないが)。この到達不能性についての認識は、その後三首目に来てふたたび繰り返される。

 

風に、ついてこいって言う。ちゃんとついてきた風にも、もう一度言う。(谷川由里子「夜空には貰いそびれたきびだんご」)

スカジャンの胸には鳥のワッペンをつけたらそれはあなたのものだ

走ったら汗がでてくるストレッチしてても汗があとからでるよ

月がいちばんポケットに入れたいものだなって月に聞かせてから寝る

 

 一首目は、〈風に、/ついてこいって言う。/ちゃんと/ついてきた風にも、/もう一度言う。〉のような句読点のリズムと「ちゃんと」という語を強調する韻律で読み下した。〈・・・ついてこいって言う。〉までで切って上の句と扱う韻律の感じ方もあるかもしれない。強い風に吹かれるときの高揚があると言ったらいいのだろうか。といってもそれは、物事の描写や状況設定などから〈私〉のあり方が照射されるものではない。そういった、いわゆる写生的なものだけが歌の到達点であると前提して作品を読もうとすると、大きな取りこぼしが生まれてしまうだろう。写生の手法がよいとか悪いということではなく、谷川の歌のコードが、私たちの見慣れたものとちょっと違っているだけなのだ。

 まわりの風への呼びかけは、直接的なものではなく、「言う」によって述べなおされている。また、一度ついてこいと言うだけではなく、「ついてきた風」という継続的な時間を捉え直してもう一度呼びかけが重ねられる。「ちゃんと」という語は、呼びかけに対して「ちゃんと」応じてくれた風という意味で用いられているのだろう。風への呼びかけは、ただ言ってみたというような言葉ではなく、本気の呼びかけなのだと思わされる。

 谷川の歌では、身近なものたちへ向けられた生な感覚が、観察や象徴的な落としどころ――これらは言語化される際にある一定の体系に組み込まれやすいものである――を逃れたかたちに差し出されている。本気でしゃべっている、と感じられるのもこのためだろう。二首目は、(おそらくあなたの)スカジャンに、もし鳥のワッペンをつけたなら、そのスカジャンも、スカジャン上のワッペンもあなたのものである。という風に解釈した。「胸に」ではなく「胸には」という助詞は、スカジャンやワッペンの存在をきわやかにしている。二首目や三首目で述べられているのは、真理条件的な意味としては当たり前の事柄だ。しかし、この本気さの文体が世界を肯定するとき、なにかが勇気づけられるのを感じる。

 四首目、先ほどの風においてもそうだったが、月というものが、すぐ近くの手でさわれるものたちと並列されるような遠近感で登場する。もっとも惹かれた歌だ。月をポケットに入れる、という不思議なイメージも魅力の一つだが、そのような突飛な話をする〈私〉についての歌というのではない。真実その気持ちを月に伝えて、月や自らを安心させて床につく、という一場面が示された歌として読んだ。その心配りが行われたことに、読者としての筆者も一緒に安らかな気持ちになるのだ。

 多くの歌を取り上げたため少し長くなってしまった。渡辺は「最近の若手歌人の中には新しい表現を生み出すことに気を奪われ、自分が本当は何を詠いたいか、あるいは何のために詠うのか明確に認識していない向きもあるようだ」と述べたが、まずは「言語感覚や表現方法の違い」について再考されたい。作歌において、個々人が信じるものは同じではなく、その必要もないのだ。

 もう一つの論点に移ろう。渡辺は小佐野彈「無垢な日本で」を「同性愛をテーマにした意欲的な連作」「社会的な批評を備え(中略)読者との間に対話を求めている」と評価しているが、筆者はこのすべてに同意しない。確認できた範囲では、野口あや子「貪欲な生を」『現代詩手帖』(二〇一七年一一月号)や、松村正直年間時評「分断を超えて」(歌壇二〇一七年一二月号)でもこの連作への言及がある。松村や野口、選考座談会においても、性的少数者の問題に取り組んだことが理由として本連作は評価されている。渡辺の引用した歌を読むことから出発しよう。

 

ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは

ほんたうの差別について語らえば徐々に湿つてゆく白いシャツ

かげろふのやうにゆらりと飛びさうな続柄欄の「友人」の文字

どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか 無垢な日本で

 

 一首目、ママレモンという名の台所用洗剤の匂いがする朝焼けと、自身の性別を、いまのところはいわゆる「男性」や「女性」等々へ分類されたくないという心情とが提示されている。「朝焼け」は他の歌の夕ぐれや夜との照応があるが、一首単位ではただきれいな景を付けただけと見えて弱い。性別を示さなければならないことへの違和感の表出を、「ママレモン」という女性が家事を担うことを前提にした言葉が支えている。〈擁(いだ)きあふときあなたから匂ひ立つ雌雄それぞれわたしのものだ〉という歌と併せて、個人へ一意的な性別のカテゴライズが行われることへの批判を示すのかとも思われるが、〈憂国の男子はひとり窓辺にて虹の戦旗に震へてゐるよ〉や〈デモ隊は最後尾からくづれゆく 還つてもいい?息子と息子に〉という、自らや相手を男性と規定する歌もあり、不整合が気になる。一人称単数形を〈わたし〉、一人称複数形を〈僕ら〉と使い分けていることも同様に、その意図が分からなかった。

 二首目について、一般的に想定されているような”偽の”差別ではなく、”ほんとう”に自分たちが受けている差別についての話をすれば、その”ほんとう”の差別の持つ重みによって白いシャツが湿っていく、ということだと解釈した。〈原罪と無縁の皮膚がしらじらと人魚のやうだ 異性愛者は〉、〈白いものなべて憎んで生きて来た僕らのためのゆふぐれが来る〉、〈・・・・・・無垢な日本で〉という歌から、白や無垢性は異性愛者のイメージとして提示されていると思われる。ここで白いシャツが湿ることは、”ほんとう”の差別について表明することが、マジョリティのナイーブさ(感受性が強いという意味ではなく、英語における何も知らないという意味での)をわずかにゆるがしうるという含意があるだろう。シャツの湿りは描写としての力を持たず、象徴的な照応関係の回収にのみ奉仕させられている。

 〈わたし〉とその相聞相手との関係が「友人」という名前しか持たないという苦しみが三首目のテーマとなっている。異性愛者である男女間のカップルには婚姻に代表される、公共・民間を問わないさまざまな制度が存在するが、同性のカップルはこれらの制度上、「友人」として疎外されている。異性愛者がマジョリティである社会における同性愛者の苦悩として典型的なエピソードだが、筆者がこの作品を否定的に捉えるのは、それが典型的なエピソードであるためではない。「婚姻」というものに比してどうしても弱くなってしまう「友人」関係に対して、「かげろふのようにゆらりと飛びそうな」という比喩はつきすぎている。また、照応のさせ方だけでなく、かげろうがゆらりと飛ぶ、という句自体も作りが甘いのではないか。

 表題歌となっている四首目。マジョリティが無知・無意識のうちに内面化した前提や、それによって形作られた規範によって差別が生まれているという社会の現状があり、それを思わせる「無垢」という形容がある。マジョリティの人間が、マイノリティ側に直面させている問題に気がついていないという含みもあり、多くを喚起する力のあるフレーズだ。

 ただ、筆者は四首目の歌意が十分にとれていない。「どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか」、という問いは、気体である酸素について、「量」や「包まれる」という語が最適なのだろうか?とまず引っかかる。ちなみに、空気の八割弱は窒素であり酸素は二割ほど。濃度としてもあまり包まれる感じはしない。どれほどの酸素の濃さの中でふたり(=〈僕ら〉)は眠るのだろうか、という問いであるとして考えた。純粋な疑問だと読むよりも、反語として、〈僕ら〉の眠るまわりでは酸素は少ない、と解釈するほうがまだ確かそうだ。無垢な日本という国においてねむる同性愛者である〈僕ら〉は息苦しい、という大筋だと解釈すれば、かろうじてするのなら、「ねむる」という語からどういう状況を示したいのか、息苦しいという心情を記号的に酸素が少ないと言い換えただけなのか、等々の疑問が残る。

 「無垢な日本で」を読んでいくと、連作の主軸となっている同性愛・異性愛という対比の周囲に、いくつもの対立軸の構造があることが分かる。しかし、個々の歌については、修辞が弱く、言葉がモチーフの提示や象徴的記号関係の答え合わせにしかなっていない。構造的な対比をするその手つきのほうが先だって目に付いた。提示されている同性愛、地方と東京、家族などについて、読者はすでに持っていた通念を利用して、なんとなく個々の歌の粗さを補う読みをすることはできる。そのような読者の持つステレオタイプに寄りかかりすぎた読みは、読者の価値観を何ら更新するものではない。

 作品を読みすすめながら、しだいにその作者の文体のリズムや価値観を掴んでいくという経験は、誰しもあるものだと思う。ステレオタイプな人物像を想定することの問題は、読者があらかじめ持っていた既成の人間像を補助線として利用して、作品の細部を削いでしまうということにある(注:この一文は、十七年夏に行われた川野芽生による勉強会発表に多くを依っている)。小佐野の連作と、それに行われた読みが、多様性に対して何かを果たしたとすれば、「(異性愛の)男性」と「(異性愛の)女性」というステレオタイプがあったところに、新たに「同性愛者の男性」というステレオタイプを追加した、という程度のことなのではないか。既成の人間像によって、作品自体への真摯な読みが阻まれ、個人の多様な生のあり方が想定もされないという構造自体はなにも変わっていない。「無垢な日本で」は、その作りの粗さのために読者がすでに持っている通念に寄りかかりすぎてしまったという問題があるが、これはそもそも、そのような読みをよしとする批評における問題でもある。連作としての構成意識は優れていても、本作品が同性愛をテーマとして押し出している、ということだけを理由にして「根源的な人間の痛みを描出する(短歌研究選考批評会タイトル)」、「つい見落としがちな多様性を、強く思い出させた(野口)」、「社会的な批評性を備えている(渡辺)」などと批評することに、筆者はつよく反対するものである。

 本稿で筆者は、個々の歌の読みから出発したが、『Quaijiu vol.2』の座談会(注:「怪獣歌会」により、十一月二十三日の東京文学フリマで発行される。座談会参加者は鳥居萌、川野芽生、山城周、斉藤志歩)では、同性愛や差別というテーマの扱い方に注目した議論が行われている。未読の方が多いと思うので、すこし脇にそれるがいくつかの発言を紹介しておきたい。

 

差別なり少数者なりについて語る時っていうのは、規範に対しての意識っていうのがあるわけじゃないですか。なんかそれがこの連作ではかなり曖昧だなと思っていて。自らはどういう意識でいるのかーーそれはつまり家族制度に批判的なのかどうなのか、とか、同性愛は悪いものだと思っているのかとか、それがかなり読み解けないようになっている(中略)それに対する答えがこの連作では「同性愛者です」くらいしかない。(山城周)

 

同性愛者というマイノリティをテーマにしていながら、異性愛だけを当たり前としてそれ以外を排除する異性愛中心社会であったり、同性愛差別であったりに対する批判的な目線がほとんど見られない。(川野芽生)

 

読後感がさわやかっていうのはそれは読者のじぶんが否定されないからでしょ。自分は何なんだっていうことを突きつけられずに、「いいな、自分もそこに入りたいな」くらいの感じで自分が暮らしている市民社会ヘテロノノーマティブな社会を肯定してもらえてるわけでしょ。(川野芽生)

 

 渡辺の時評へと戻ろう。結びでは、「今自分にとって大切なものをまっすぐに見つめ、短歌の形式と韻律の力を信じて詠う姿勢」が重要である、と述べられている。これについてはそうだろうとしか言うことはない。しかし、他者の作歌姿勢というものをじかに知る手段がない以上、見ることができるのはそれぞれの作品(とせいぜい散文)のみだ。よほど深く緻密な作品への洞察に基づかない限り、作歌姿勢についての議論は、個人の信念の押しつけか、一般化された言葉が上滑りするほかにない。批評において作歌姿勢を話題に載せることにどれほどの意味があるだろうか。

松尾豊『人工知能は人間を超えるか』

 (KADOKAWA、2015.3)

 近年、人工知能の研究がすすんだことで、人間の職がなくなるのでは?(働かずに暮らせたらそれでいいじゃん)とか、人間よりずっと賢い(とは?)人工知能ができてしまうのでは?(もしできたとしてなにか問題があるの??)といった話がいわれるようになってきた。この本は、そのような話に対して、人工知能の研究者である著者が、いままでの研究の成果や現状について書いている。出版が2015年だから、残念ながらAlphaGoとかの話はでてこない。

 題名とか表紙のテンションから、この本を信頼してだいじょうぶかしら、と思ったり*1もしたけれど、入門的なことをわかりやすく説明してくれていてありがたかった。技術の進歩とか、もののしくみの話とか、どきどきするよね。以下本に書いてあったことより。

 

  

人工知能とは?


 まず、人工知能とは何か、ということも専門家の中でいろいろある。人間の知的な活動の一面をまねしているものも、世の中で人工知能とよばれたりするからややこしい。専門家の見解の中で紹介されているものからいくつか取ってくると、次のようなものがある。
「人工的につくられた、知能を持つ実体。あるいはそれをつくろうとすることによって知能自体を研究する分野」(中島秀之)
「「知能を持つメカ」ないしは「心を持つメカ」」(西田豊明)
「人間の頭脳活動を極限までシュミレートするシステムである」(長尾真)
「知能の定義が明確でないので、人工知能を明確に定義できない」(浅田稔)
松尾の定義は、「人工的に作られた人間のような知能、ないしはそれをつくる技術」である。浅田によって触れられているように、知能とは?とか心とは?とか言い出すと、もうそれだけで一つの研究なので、人間のような、と設定するのはまあまあ現実的だろう*2同じく知能を扱おうとしている脳科学との対比がわかりやすい。人工知能研究者は、知能を構成論的に(実際に作ってみることによって)理解しようとしているのに対し、脳科学者は知能を分析的に理解しようとしているわけだ。

 
 ここにあるのは、「人間の知能は、原理的にはすべてコンピュータで実現できるはずだ」という前提である。

人間の脳の中には多数の神経細胞があって、そこを電気信号が行き来している。脳の神経細胞の中にシナプスという部分があって、電圧が一定以上になれば、神経伝達物質が放出され、それが次の神経細胞に伝わると電気信号が伝わる。つまり、脳はどう見ても電気回路なのである。脳は電気回路を電気が行き交うことによって働く。そして学習をすると、この電気回路が少し変化する。
電気回路というのは、コンピュータに内蔵されているCPU(中央演算処理装置)に代表されるように、通常は何らかの計算を行うものである。(パソコンのソフトも、ウェブサイトも、スマートフォンのアプリも、すべてプログラムでできていて、CPUを使って実行され、最終的に電気信号を流れる信号によって計算される。)

 脳でやってることが計算なのであれば、それはコンピュータで実現できると考えられ、人工知能研究はこれを実現しようとしている。この目的からすると、現在の研究レベルはゴールにはほど遠い。人工知能はまだできていないのだ。

 
 また、上に紹介した研究者たちの「人工知能」の定義は、どちらかといえば達成目標のような趣があるが、すでに「人工知能」と呼ばれているものは存在している。
レベル1として、「単純な制御プログラムを「人工知能と称している」もの。ただのマーケティングだ。
 レベル2は、「古典的な人工知能」。古典的、というのは、人工知能の研究史において、ということだろう。例えば将棋のプログラムや質問応答などである。「入力と出力を関係づける方法が洗練されており、入力と出力の組み合わせの数が極端に多いものである」。
 レベル3は、「機械学習を取り入れた人工知能」である。レベル2では、人間が入力と出力を対応させる複雑なルールを頑張って考えて、それに従って機械が処理をしていた。機械学習では、この入力と出力を関係づける方法を、データを与えることで機械が学習してくれる。

 さらにその上でのレベル4は、「ディープラーニングを取り入れた人工知能」であるという。「ディープラーニング*3というのは機械学習のやり方のひとつの、最近発展してる分野で、コンピューターが与えられたデータにおけるどの変数を重視するか、というところまで学習してくれるものである。この本の中で「ディープラーニング」は、「特徴表現学習」とも呼ばれている。ディープラーニング(特徴表現学習)はとても大きなインパクトをもたらしたので、この本の中で機械学習と並べて述べるときもあるが、ディープラーニング特徴表現学習)は、機械学習の研究の一部であると筆者も強調している。

 この本の中では、「人工的に作られた人間のような知能、ないしはそれをつくる技術」という松尾自身による「人工知能の定義の中にレベル2~4ぐらいまでは含まれている様子で言葉が使われている。研究の達成という意味では「人工知能はまだできてない」けれど、すでに開発されたものを「人工知能」と呼ぶこともあるみたいでちょっとややこしい。

 

三度のAIブーム

 人工知能研究とはどういうものかが少し整理され、第二章以降ではこれまでの研究の流れの紹介がされていく。

人工知能研究は、これまで「ブーム」と「冬の時代」を繰り返してきた。
(中略)
ざっくり言うと、第1次AIブームは推論・探索の時代、第2次AIブームは知識の時代、第3次AIブームは機械学習と特徴表現学習の時代である

  第1次AIブームは、50年代後半から60年代。「人工知能Artficial Intelligence)」という言葉は、1956年のワークショップで初めて登場した。ここでデモンストレーションされた「ロジック・セオリスト」というプログラムは、自動的に定理を証明するもので、初の人工知能プログラムといわれている。

 第1次のブームで中心的な役割を果たした「推論」や「探索」という処理は、探索木(たんさくぎ)を用いた場合分けによってなされる。場合分けのやりかたーーどの順番で探索木を広げるかーーにも効率のよい悪いがある。メモリの制約と、解へたどり着く手数とのバランス、膨大な組み合わせの枝同士の評価方法などが研究された。当時探索の研究で行われたのは、迷路やパズルを解くことや、オセロや将棋等のゲームへの挑戦などである。これらの課題はみな、選択肢が限定された条件下での場合分けに還元することができるものだ。

1960年代に花開いた第1次AIブームでは、一見すると知的に見えるさまざまな課題をコンピュータが次々に解いていった。さぞかしコンピュータは賢いのだろうと思われたが、冷静になってかんがえてみると、この時代の人工知能は、非常に限定された状況でしか問題が解けなかった。(中略)現実の問題はもっとずっと複雑だった。

 いわゆるトイ・プロブレム(おもちゃの問題)しか解けないことが明らかになるにつれ、人工知能への失望が広がり、1970年代に冬の時代を迎えてしまう。

 

第2次AIブーム : 知識


 1980年代に再び勢いを取り戻した人工知能ブームを支えたのは「知識」である。

たとえば、お医者さんの代わりをしようと思えば、「病気に関するたくさんの知識」をコンピュータに入れておけばよい。弁護士の代わりをしようと思えば、「法律に関するたくさんの知識」をいれておけばよい。そうすると、迷路を解くというおもちゃの問題ではなく、病気の診断をしたり、判例に従った法律の解釈をしたりという現実の問題を解くことができる。これは確実に賢くなりそうに思えるし、また実用的にも使えそうだ!

 このような、「ある専門分野の知識を取り込み、推論を行う」人工知能は「エキスパートシステム」と呼ばれた。「ある専門分野の知識を取り込み、推論を行う」と擬人的な言い方をしているが、もしAならばB、AでなければCといった推論(場合分け)の前件や後件をコンピュータに与えるということだ。先ほど登場したレベル2の人工知能である。仕組みとしてはけっこう想像しやすい。

 しかし、これを実行するのは大変なことだった。ある専門分野の知識を取り出して形式的に記述すること、そうして得られた条件文(ルール)が矛盾なく一貫するように維持管理することが必要になってくる。高度で限定的な専門分野においてならまだいい。問題系がより広汎になってくると、人間なら誰でも持っているような常識的なーー人間には手と足が二本ずつある、だとか、人間は哺乳類である、等々ーーの知識も、あらかじめコンピュータが知って(つまりはルールの形で登録されている)いなければならない*4私たちが当たり前だと思っている知識の量も、それを形式的に記述することも、膨大な道のりなのだ。だんだん形式意味論みたいな沼にはまってきた。
*5


 第2次AIブームでは、知識を入力することで、コンピュータが産業的にも大いに利用できることが分かったものの、その知識記述の困難さ、またフレーム問題やシンボルグラウンティング問題などから、人工知能の実現には大きく疑問符がついてしまった。


 人工知能のフレーム問題、シンボルグラウンディング問題は、どちらも人工知能における難問として知られている。ある状況・目的において、人工知能はいかにして「関係ある知識だけを取り出して」使い、関係のないものを無視すればよいのか、というのがフレーム問題である。この問題が乗り越えられない限り、コンピュータが十分に知識をもっていたとしても、持っていたなら余計に、あるタスクを実行する際に適切な知識・動作を選び取ることが困難になるだろう。
 記号体系と現実の、あるいは概念との対応ーー「記号をその意味するものと結びつけることができない」というのがシンボルグラウンディング問題である。近年では、ワソトンという質問応答を行う人工知能がクイズ大会で優勝したり、グーグルによる機械翻訳の技術が発展したりしているが、もちろんこれらのシステムは、質問の"意味"が分かって解答を選んでいるわけでも、文章の"意味"が分かって翻訳文を生み出しているわけでもない。事前のデータや計算の結果によって得られた一番確率の高いものを出力しているだけである。シンボルグラウンディング問題は身体性ーー「外界と相互作用できる身体がないと概念はとらえきれない」という観点とともに研究されている。


 90年代*6からは再び冬の時代となり、人工知能への風当たりはきわめて強かったという。しかしその頃、90年には初めてウェブ上にページができ、93年には初期のウェブブラウザ「モザイク」が、98年にはグーグルの検索エンジンが登場するなど、ウェブページの世界は大きく発展していた。このようなウェブによるデータの増加、またパターン認識の分野で蓄積されてきた技術が、「機械学習(Machine Learning)」の研究の土台となり、2010年代の第3次AIブームへとつながっていく。

 

第3次AIブーム : 機械学習

 

機械学習とは、人工知能のプログラム自身が学習する仕組みである。
(中略)
人間にとっての「認識」や「判断」は、基本的に「イエスノー問題」としてとらえることができる。この「イエスノー問題」の精度、正解率を挙げることが、学習することである。・・・
機械学習は、コンピュータが大量のデータを処理しながらこの「分け方」を自動的に習得する。
(中略)
機械学習は、大きく「教師あり学習」と「教師なし学習」に分けられる。
「教師あり学習」は、「入力」と「正しい出力(分け方)」がセットになった訓練データをあらかじめ用意して、ある入力が与えられたときに、正しい出力(分け方)ができるようにコンピュータに学習させる。(中略)一方、「教師なし学習」は、入力用のデータのみを与え、データに内在する構造をつかむために用いられる。データの中にある一定のパターンやルールを抽出することが目的である。

 コンピュータによってある一群の対象を「分ける」というのは、対象を座標空間の上の点として配置して(つまり、対象をいくつかの観点に基づくデータの結合としてモデル化する)これら空間上の点の一群を切り分けるときにどんな線や面を使ったらいいか・・・といった作業になる。学習の仕方にも、教師あり/なしという違いがあるが、空間上の点としてモデル化した入力群をどのように分けるか、という方法にもいろいろなものがある(もちろんモデル化の仕方にもいろいろある)。

 機械学習の中で有望な分野とされているニューラルネットワークNeural network)は、人間の脳神経回路のモデル化が研究の源流である。ニューラルネットワークは、この機械学習の方法のうちのひとつであるが、第四章以後ではほとんど機械学習といえばニューラルネットワークが用いられているものとして話が進められている。

人間の脳はニューロン神経細胞のネットワークで構成されていて、あるニューロンはほかのニューロンとつながったシナプスから電気刺激を受け取り、その電気が一定以上たまると発火して、次のニューロンに電気刺激を伝える。これを数学的に表現すると、あるニューロンがほかのニューロンから0か1の値を受け取り、その値に何らかの重みをかけて足し合わせる。それがある一定の閾値(しきいち)を超えると1になり、超えなければ0になる。それがまた次のニューロンに受け渡されるという具合である。
(中略)
一連の流れの中で肝となるのは重みづけで、人間のニューロンが学習によってシナプスの結合強度を変化させるように、学習する過程で重みづけを変化させ、最適な値を出力するように調整することで、精度を高めていく。

 

 データからニューラルネットワークを作る「学習フェーズ」では、ニューラルネットワークの出力と、教師データの正解とをくらべて、出力が正解に近づくようにノード間の重みづけを調整する、という作業をひたすら繰り返す。この作業には数秒から、長いときには数日間かかることもあるという。できあがったニューラルネットワークを使って正解を出す(「予測フェーズ」)のは一瞬だ。先に述べたエキスパートシステムとは異なり、機械学習では、入力データ、入力データと正しい出力データの用意によっていくらでも新しい仕事ができる。
 しかし、この入力のデータとして何を用いるのかは人間が選ばなくてはならなかった。「特徴量(引用者注:「機械学習の入力に使う変数のこと」)をどうつくるかが機械学習における本質的な問題」であったのだ。すると最終的には、機械学習の、特徴量の設計は長年の知識と経験に基づいた職人技になってしまう。最後はコンマ何%程度の性能の違いを競うようなものになってしまい、「研究としてはあまり面白くないところだ」。

 

ディープラーニング


 ところが2012年、世界的な画像認識のコンペティションで、「ディープラーニング(深層学習)」という新たな機械学習の方法によるカナダのトロント大学が、他の人工知能を10ポイント以上引き離して圧勝したのだ。それまでの画像認識の職人技ではない、まったく新しいところからの参入であっただけに、トロント大学の圧勝は大きな衝撃となった。ディープラーニングというのは、層が深いニューラルネットワークである。*7松尾はこれを、「人工知能研究における50年来のブレークスルー」だという。
 では、ディープラーニングになったら何がそんなにすごいのか。ディープラーニング以前の機械学習では、特徴量をどういう風に選ぶのか、ということ(特徴量設計)は人間が考えることで、「機械学習の本質的な問題」であったことは前にも述べた。例えばネコの画像を認識する人工知能を作るためには、ネコ画像のネコ性をよくあらわす(もちろん数値的に)特徴の取り出し方を考えなくてはならなかった。しかしディープラーニングでは、画像そのものから、それらの画像を扱うための特徴を抽出することができる。*8ディープラーニングでは、画像のピクセルなどの、たくさんの変数の相関関係を分析し、少数個の変数に縮約する、ということが行われている。

相関のあるものをひとまとまりにすることで特徴量を取り出し、さらにそれを用いて高次の特徴量を取り出す。そうした高次の特徴量を使って表される概念を取り出す。
・・・
ディープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データをもとに何を特徴表現すべきか」をコンピュータが自動的に獲得することができるという可能性を示している。簡単な特徴量をコンピュータが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。その特徴量を使って表される概念を獲得し、その概念を使って知識を記述するという、人工知能の最大の難関に、ひとつの道が示されたのだ。

*9

 

   *


 人工知能研究のちょうどいま来ているあたりまでを説明したところで松尾のボルテージも高まっている。そもそも人間が概念を獲得しているとはどういう状態なのか、という哲学的議論もあるけれど、一般的な類に妥当するものとしないものを弁別できるような抽象的特徴量を獲得している人工知能は概念を獲得している!と言いたくなる感じは分かる。


 第六章からは、将来人工知能がどうなるだろうか、という話がされている。この本自体は第六章と終章とがあってもう少しつづくけれど、わたしが筆者のテンションに乗れなくなってきたこと・人工知能研究の現時点までのことを知りたいという目標とはあまり関係ない箇所であったことなどから、まとめるほどのやる気は生まれなかった。

 松尾による今後の展望があって、なるほどな~と思ったので下にそれだけ引用しておわり。

1画像からの特徴表現と概念の獲得
2マルチモーダルな(引用者注:画像ーー視覚以外の、聴覚や触覚、また時間など、複数の感覚のデータを組み合わせて扱う)特徴表現と概念の獲得
3「行動と結果」の特徴表現と概念の獲得
4一連の行動を通じた現実世界からの特徴量の取り出し
5言語と概念のグラウンディング
6言語を通じての知識獲得(人間を超える?)

 

(2017.10.30)

*1:人間らしい(問題解決能力や創造性、知能や心を持つとか?)ことが何かしら神聖であると思ってるのが一般の認識だよね、という感じで書いてあるので時々ふうん??と思ってしまう。機械学習を専門にしている知人に勧めてもらわなければ、手にとっても戻したと思う。

*2:松尾は、「人間のように知的であるとは「気づくことのできる」コンピュータ、つまりデータの中から特徴量を生成し現象をモデル化することのできるコンピュータ」と定義している。それは知能の一部の説明になっているだろうが、全部ではないようにも思われるが

*3:日本経済新聞のめちゃくちゃ煽りに見える広告を思い出してしまってよくない。この辺の、普通に学問の用語だったはずの言葉たちは、いろんなところに引っ張り出されて語感だけのチープなものにされてしまってすごいかわいそうだ

*4:1984年、人間の持つすべての一般常識をコンピュータに入力しようというCycプロジェクトと呼ばれるプロジェクトがはじまった。このプロジェクトは三十年以上経ったいまでも続いている。

*5:ここから知識を記述するということそれ自体を研究するオントロジー(ontrogy)研究へつながっていく。オントロジーとは、哲学では存在論のことをいうが、人工知能の用語としては「概念化の明示的な仕様」と定義されるということだ。

オントロジー研究によって、知識を適切に記述することがいかに難しいかが明らかになり、大きく分けて2つの流派ができた。
私の解釈でざっくり言うと、「人間がきちんと考えて知識を記述していくためにどうしたらよいか」を考えるのが「ヘビーウェイト(重い)・オントロジー派と呼ばれる立場であり、「コンピュータにデータを読み込ませて自動で概念間の関係性を見つけよう」というのが「ライトウェイト(軽い)・オントロジー派である。

  後者はインターネットやビックデータと相性がよく、セマンティックウェブ、あるいはLinked Open Dataの研究へ展開されている。このようなライトウェイト・オントロジーの流れから、2011年にはIBMによって「ワソトン」という人工知能が開発されている。従来あった質問応答の手法と、ウィキペディアの記述をもとにしたオントロジーが組み合わせられている。ワソトンはアメリカのクイズ番組で優勝し、脚光を浴びた。(当然ながら、ワソトンは質問を理解して答えているのではなく、質問に関連してもっとも確からしいキーワードを引き出しているだけである。)

*6:海外では87年頃から、日本では95年頃からだという

*7:ニューラルネットワークが研究されはじめた時点でディープラーニングも作られてよかったように思える。しかし、実際やってみると、学習がうまくいかなかったり、逆に教師データを学習しすぎて未知のデータをうまく分類することができなかったりした。ネットワーク構造や学習のさせ方を改良することによって、多層のニューラルネットワークを学習させることが可能になってき

*8:これはディープラーニングの仕組みによってそうなっているのだけれど、私の現時点の言語能力と理解度の問題でそれを説明することから撤退しました、あしからず。

*9:

ところが、その実、ディープラーニングでやっていることは、主成分分析を非線形にし、多段にしただけである。
 つまり、データの中から特徴量や概念を見つけ、そのかたまりを使って、もっと大きなかたまりを見つけるだけである。何てことはない、とても単純で素朴なアイデアだ。


主成分分析は、多くの変数を合成することで少ない変数でデータを表す手法で、アンケートの分析やマーケティングなどで、一般的に用いられている手法だ。ディープラーニングの実現前から、「どう考えてもこのやり方しかない」という試行錯誤が行われながら、どうしてもうまくいかなかった、と書かれている。いろんな人が悔しかったのだろうな。

山口謠司『日本語を作った男:上田万年とその時代』

 今の私たちが使っている日本語の書き言葉は、明治時代後半の言文一致運動にその一つの源流がある。これは、「自然に変化してこうなったものではなく、「作られた」日本語である」。タイトルにある上田万年(1867(慶応3年)ー1937(昭和12年))は、その時代に東大の博語学(いまでいう言語学)の教授として、言文一致をしようとした人だ。結局これは挫折して、「現代かなづかい」の告示は戦後まで待たなくていけないのだが。この本は、上田万年の時代の歴史的・文化的なことについてや、同時代の人物たちの活動を群像的に書いていっている。
 知らなかったことがいっぱいあって、しかもそれが大きな全体像を構成していて、とてもおもしろかった。全体像の話をするのはむずかしいだろうけど、面白かった話をいくつか紹介してみたい。

 

 

 上田万年は慶応3(1867)年に生まれる。大政奉還が行われて明治新政府が成立した年だ。ちなみにこの年には、夏目漱石正岡子規幸田露伴南方熊楠なども生まれている。
 明治政府は、欧州列強に追いつこうと、中央集権的な近代国家を確立させようとしていたし、江戸以前の文化をなかったものとしたかった。大学に入るためには英語を習得していなければならず、帝国大学での授業はすべて英語だったという。当時博士になるにはどの専門分野でも留学が必須で、留学によって外国の知識を国に持ち帰るという流れだった。帝国大学の学生というのは、日本の中でもほんの一握りのエリートだったのだ。また、新島襄(1843ー1890)や内村鑑三(1861ー1930)は、「日本語を話すことはできても、ほとんど日本語で書かれたものを読解することができず、英訳本か、本を読んでもらうことでようやく耳から理解していた」と触れられていて驚く。このような時代のなかで、例えば森有礼は英語を日本の公用語にすることを主張するし、そこまで急進的でなくても、日本語をローマ字で書こうという論(西周)や、漢字を廃止しよう(前島密)などの議論が明治6年(1873年)頃から主張されてくる。

 日本語をどのように文章にするのか、という問題には、様々な論点がある。漢字や仮名、そしてローマ字という表記の問題。そもそも、発音されている音のすべてをかなで表すことができるのか、という表音の問題*1も含まれるだろう。そして、文語文と口語文という表現の問題だ。文語文というのは、例えば漢文や漢文訓読体、もっと私的なものでは候文などである。それぞれ例として引用されているものがあるので見てみよう。

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

 第二次世界大戦終結までは、公式文書はすべて漢文または漢文訓読体であったという。玉音放送は最もよく知られているところであろう。原文は、漢学者・川田瑞穂によって書かれ、陽明学者・安岡正篤によって添削されたということだ。誰でも使いこなせる文体ではなかった。

今朝は風はげしう候て北に向きたるは窓さえ明けがたきように御座候(ござそうろう)都のうちさえ此(この)ようのさむさなるをまして山おろしいかばかりか父母ともどもお案じ申上御様子(ごようす)承(うけたまわる)るべしと語りあい居(をり)候に

 これは樋口一葉が博文館から依頼されて執筆した『通俗書簡文』(1986)の抜粋ということだ。題名に「通俗」とあるけれど、みんなこういう文体で私信をやりとりしていたということなのだろうか。

 

 このような中で、明治初期には、まず日本語をひらがなだけで、あるいはローマ字だけで書いていこうという、表記における運動が活発になる。物集高見という人物の、『かなのしをり』(1884(M4))という本の文章が引用されているので見てみよう*2

よろづ の くに おほかた この くに の ことば この くに の もじ を もて よろづ の もの を よび ちぢ の こと を しるせり、かの 二十六 の こゑ 二十六 の もじ を もて よろづ の もの を しるせる くに も 五十 の こゑ 五十 の もじ を もて ちぢ の こと を しるせる くに も とも に ひと の くに も もじ を かる こと なし、わが みくに も また 五十 の こゑ 五十 の もじ ありて よろづ の もの を よび ちぢ の こと を しるさば ひと の くに も もじ は かる べく も あらぬ を

漢字かな混じり文が当たり前だと思ってる身からはだいぶ目が泳いでしんどい。
ひらがな分かちや、ローマ字表記という文体からなんとなく土岐哀果(善麿)(1885ー1979)の『NAKIWARAI』(1910)や會津八一(1881-1956)の歌が思い出される。小高賢『近代短歌の鑑賞77』を参照すると、哀果のほうは時代的な動きに応じたものだったようだ*3が、八一のほうはそれとは違うところの理由からくる文体選択だった様子*4だ。

 本書の話に戻って、明治前半までは、覚えるのに時間のかかる漢字を廃し、日本語のひらがな表記や、ローマ字表記へと教育を変えようという議論が主に行われていたとまとめられるだろう。


 いま漢字仮名混じり文を当たり前にしていると、こういった主張に対してそんなむちゃくちゃな、という気持ちにならなくもないけれど、世界でも文字表記の改革は行われている。朝鮮半島では1948年に「ハングル専用に関する法律」が、韓国では1970年に漢字廃止宣言が発表されている。また、トルコでも1928年アラビア文字が全廃されて、ラテン文字が採用されるようになったし、モンゴルでも1941年にモンゴル文字を廃止し、キリル文字によって言文一致の表記が行われるようになったという。私は現代日本語が今のような形で現代日本語となったところに暮らしてきているだけで、そうでないものが当たり前になったところを想像するのは難しいけれど、今ではないしかたの日本語が標準であってもおかしくなかったのか、と思われる。


 さて、東京大学で博語学を学び、ベルリン大学へと留学した上田万年は、1894(明治27)年に帰国する。この年万年は「国語と国家と」という演題で講演を行っている。

日本の如きは、殊に一家族の発達して一人民となり、一人民発達して一国民となり者にて、神皇蕃別(じんのうばんべつ)の名はあるものの、実は今日となりては、凡(すべ)て此等を鎔化(ようか)し去(さり)たるなり。こは実に国家の一大慶事にして、一朝事あるの秋(とき)に当たり、われわれ日本国民が協同の運動をなし得るは主としてその忠君愛国の大和魂と、この一国一般の言語とを有(も)つ、大和民族あるに拠(よ)りてなり。故に予輩(よはい)の義務として、この言語の一致と、人種の一致とをば、帝国の歴史と共に、一歩も其方向よりあやまり退かしめざる様(よう)勉めざるべからう。かく勉めざるものは日本人民を愛する仁者(じんしゃ)にあらず、日本帝国を守る勇者にあらず、まして東洋の未来を談ずるに足る智者にはゆめあらざるなり。

(中略)

故に(中略)偉大の国民は、(中略)情の上より其自国語を愛し、理(ことわり)の上より其保護改良に従事し、而して後此上に確固たる国家教育を敷設(ふせつ)す。こはいうまでもなく、苟(いやしく)も国家教育が、かの博愛教育或いは宗教教育とは事替わり、国家の観念上より其一員たるに愧(は)じざる人物養成を以て目的とする者たる以上は、そは先ず其国の言語、次に其国の歴史、この二をないがしろにして、決して其功を見ること能(あた)わざればなり。


日本人という単一民族の統合として戴かれている日本語、という言語観が示され、帝国主義政策の中での国語政策の必要性が説かれている。この考え方の基本には、比較言語学・比較宗教学の学者であるマックス・ミュラーの影響があるという。さかのぼれば同系統の言語を用いていることが明らかになったインド人とヨーロッパ人とを、ミュラーはあわせて「アーリア人」と呼び、アーリア人種の優位性を強調する思想を説いた。万年の講演や思想も、そのような帝国主義的時代の潮流のもとにあった。


 帝国大学*5教授に就任し、のちに文部省学務局長兼文部相参与官にも就任した万年は、国家のなかで統一的な国語を制定するために奔走していく。彼は、国語を上流階級や専門家だけでなく広く一般のものにするためには、表記としても、表現としても言文一致が必要だと考える。例えば明治30(1897)年1月の講演「国語会議に就きて」に万年の主張がみえる。万年は、方言による発音の違い、長音記号の使用や歴史的仮名遣*6について触れながら、仮名遣いを発音に基づき、国家の中で統一したものとすること(そしてそのための組織として国語会議をもうけること)を主張した。明治33(1900)年、文部省は「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべきかんじを千二百字に制限」し、「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定する。これを受けて、「棒引き字音仮名遣い」*7と呼ばれる新しい表記スタイルの教科書が登場した。

お花は、為吉と云ふ人形を、ふとんの上にねかして、片手で、其のはらをさすって居ます。是は人形が、病気にかかったと云って、かんびょーのまねをして居るのでございます。(中略)
お花「為吉は、昨夜より、腹が大そーいたむと申してないてばかり居ます。」

兄モ、弟モ、一ネンジュー、ヨクベンンキョーイタシマシタ。(中略)父母ハ、二人ノコドモニベンキョーノホービダトイッテウツクシイヱヲ一マイヅツヤリマシタ。
(金港堂『尋常国語読本』1900)

とはいえここで発音と一致しているのは、長音部分についてのみで、「云ふ」であったり、助詞の「を」などについてはそのままになっている。万年や、その弟子である芳賀矢一らは、文部省内に設置された「国語調査委員会」でさらに調査を進め、明治41(1908)年には、発音主義の改訂仮名遣いが施行される予定となっていた。しかしその新仮名遣いは文部省参事官岡田良平や、枢密院や貴族院の反対者、鷗外などによって覆されてしまう。新仮名遣いの制定は、戦後の1946年11月内閣訓令第8号,内閣告示33号「現代かなづかい」まで持ちこされたのだった。


 この本では他にも、徳富蘇峰の『国民の友』や、当時の出版業界の話、森鷗外坪内逍遙高山樗牛と繰り広げた論争、19世紀ヨーロッパ言語学の展開、そしてグリムの法則とそれが日本語でも成立することを示した「P音考」等々、近代史・文学史言語学にわたるいろいろな話が登場する。はじめて聞く話と聞いたことのある話とが渾然としていくのも面白くて、世の中には永遠に勉強することがあるな、という気持ちになる。あちこちを照らされることで、すごく大きなもののその大きさが一瞬垣間見せられるような読み味だった。(その分個々の出来事がどう進行しているのかつぶさについていくのはちょっと難しいかった。)私の知っているような本では、照らせる範囲のものを対象に、それをじーっと見たり、論理や時系列にそって追いかけていくようなものが多かったので、もっとこの手の大きな話をする本も読んでいけたらいいなと思う。


 ところで最近、こんなホームページを見つけた。(見つけたはみつけたものの、ページがたくさんありすぎてそんなに探索はできていない)

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報

この文化庁の国語施策情報には、この本で取り上げられてきた審議会の資料や、本当に新仮名遣いが決定された戦後の国語審議会の議事録もあって、内容も審議会の文体もなんかおもしろい。

*1:例えば、「が」は江戸では鼻濁音的な発音がされるが、東北ではそうではない、など

*2:本の内容紹介と共に引用しているものはみんな孫引きです

*3:第一歌集としての『NAKIWARAI』(明治四十三年)は、ロマンチックな感傷性の上に、覚めた現実認識を示している。またこの歌集は、ヘボン式ローマ字綴りによるもので、長くローマ字運動に携わる善麿の初志が反映されてもいる。(小高賢『近代短歌の鑑賞77』)

*4:八一のひらがな、分かち書きのスタイルは、最初からのものではない。・・・・・・掲載歌のような表記がとられたのは、二十六年の『会津八一全集』からである。その「例言」に八一は、
 いやしくも日本語にて歌を詠まんほどのものが、音声を以て耳より聴取するに最も便利なるべき仮名書きを疎んずるの風あるを見て、解しがたしとするものなり。欧米の詩のいはば仮名書きにあらずや。
と述べ、また「一字一字の間隔を均一にせば、欧亜諸国の文章よりも、遙かに読み下しにく」いので分かち書きの方法を取ったとしている。(小高賢『近代短歌の鑑賞77』)

*5:東京大学のこと。1886ー97までの名称

*6:万年の発言中には「歴史的仮名遣い」という用語は用いられていない。万年の表現を用いるならば、仮字遣には国語仮字遣、字音仮字遣、訳語仮字遣があり、前者二つが歴史的主義、訳語仮字遣のみが音韻的主義による、ということだ。

*7:この表記や、「は」や「を」も発音通りに表記された文章などを見ると、現代の仮名遣いも別に完全に発音通りにやってる訳ではないよなあというのがよく分かる